Reading Room - 2004

Reading Diary
2004年12月30日(Thu)▲ページの先頭へ
Gregor the Overlander (Underland Chronicles)/Suzanne Collins

この本は、ゴキブリとクモとコウモリとネズミが出てくる戦慄すべきファンタジーだったのだが(私は足のあるものはだいじょうぶ)、なかなかどうして面白かった。ゴキブリもコウモリも人間がその背中に乗れるほど大きくて、死ぬほどゴキブリが嫌いって人は、本を触るのも嫌かもしれないが。

主人公のグレゴールは、2年7ヶ月前に父親が失踪して以来、母親を助けて、家事や育児を率先してやっている健気な男の子だ。ある日、洗濯室に開いていた穴に、妹のブーツ(2歳)と一緒に転がり落ち・・・。

落ちた先は「Underland」(まんま!もちろん上の世界は「Overland」)で、巨大なゴキブリやコウモリが人間と共存している世界だった。そこで、実はグレゴールの父親もここにいて、生きているらしいことがわかった。

ところが、父親は「Underlander」たちの敵であるネズミの国「Dead Land」に捕らえられているらしいというので、グレゴールを先頭に、「Underlander」たちはネズミ軍と戦うという話。

何と言っても、グレゴールの妹ブーツが、めちゃくちゃかわいい。2歳なのでまだグレゴールと言えず、「Ge-Go」というのがかわいい。周りが暗くなっているときに、ブーツの明るさで救われるのだ。

ブーツが「Go see ma-ma!」などと言うのを読んで、そうか、まだ言葉がちゃんとしゃべれない赤ん坊は、こんな風に言うのか!と、妙に納得した。まだ2歳のくせに、「おむつ取り替えて!」なんて、しっかり主張するところなんかは笑えた。もちろん「diaper」と言えないので、おむつは「diper」になってしまうのだが。

再び父親とめぐり合ったグレゴールとブーツは、無事に家に帰るので、めでたし、めでたしなのだが、「Underland」の王が、「See you soon!」と言うのが気になる。と思ったら、すでに続きが出ていた。今度もまだネズミの邪悪な王と戦うらしい。余談だが、グレゴールはしっかりしているのに、父親が情けない感じなのが、ちょっと不満だった。

2004年12月29日(Wed)▲ページの先頭へ
The Book of Dead Days (Book of Dead Days S.)/Marcus Sedgwick

この本によると、クリスマスの翌日から大晦日までの6日間を「Dead Days」と言うのだそうだ。というわけで、この期間に合わせて読もうと思って、ずっと楽しみにしていたのだが、いざ読んでみたら、全然面白くなかった。

主人公の名前がなく、ずっと「Boy」のままなのだが、「Boy」本人も自分の両親は誰なのか?本当の名前は何なのか?という疑問を抱えながら、話が進んでいく。マスターである魔術師の正体や、邪悪な人間だと思った医師の正体などが明らかにされていくのに、最後まで読んでも「Boy」の名前はわからない。

魔物が徘徊する期間だというので、魔法とか不思議なこととかがたくさん書かれているんだろうと思ったら、単に魔術師が出てくるイリュージョンもので、なんだ、面白くないなあ・・・と思いつつも、一体こいつの名前は何ていうんだろう?という、ただひとつの好奇心に動かされて読み終えたのに、結局名前はわからないまま、「つづく」というわけだ。馬鹿にしてる!ああ、がっかりだ!「つづき」なんか絶対読まない!

2004年12月28日(Tue)▲ページの先頭へ
The Various/Steve Augarde



2004年12月27日(Mon)▲ページの先頭へ
Christmas Sleigh Ride/Tracey V. Bateman, Jill Stengl

・「Colder Than Ice」/Jill Stengl
・「Take Me Home」/Tracey V.Bateman


2004年12月23日(Thu)▲ページの先頭へ
クリスマス・カロル/チャールズ・ディケンズ



カバーより
ケチで冷酷で人間嫌いのがりがり亡者スクルージ老人は、クリスマス・イブの夜、相棒だった老マーレイの亡霊と対面し、翌日からは彼の予言どおりに第一、第二、第三の幽霊に伴われて知人の家を訪問する。炉辺でクリスマスを祝う、貧しいけれど心暖かい人や、自分の将来の姿を見せられて、さすがのスクルージも心を入れかえた・・・。文豪が贈る愛と感動のクリスマス・プレゼント。


何度か読んでいるので、前にも感想を書いていたような気がしたが、みつからなかったということは、感想は一度も書いていなかったのだろうか。

子どもの頃に初めて読んだときには、幽霊が出てくるので、とても怖い話だと思っており、ディケンズというのは、怖い話を書く人なのだなどという先入観を持ってしまっていた。大人になって読み返してみると、なんだ、いい話だったんだ!という感じで、印象が全く違った。

しかし、何度か読んでいるうちに、スクルージが自分の死ぬ場面で、誰一人悲しんでくれないどころか、そばには誰もおらず、これ幸いと物を盗んでいくものや、生前の行いに言及して、これが当然の仕打ちであるとばかりに話すものなどを見て愕然とし、改心するというところは、やはり人間は、自分の死において、もっとも孤独を感じるのだなと思った。

誰だって、当然死ぬときは一人なのだし、どんな状況で死んでいっても、死んだら何も感じないわけだが、実際(例え夢でも)その場面を目の当たりにすると、どんな悪党でも改心するのだろう。

そこに至るまでに、幽霊のおかげで、氷のようなスクルージの心も徐々に溶け出していたのだろうとは思うが、結局は自分の死に目という、あとで悔やんでも悔やみきれない場面に遭遇し、因果応報のようなことを感じたに違いない。

この話は、常に優しい心を持って、周囲の人々には暖かい気持ちで接しましょうという教訓のようにも見える。また、それだけ感じればよいとも思えるのだが、今回読んでみて、どうもそれだけではないような気がした。自分の死に目があんなに孤独では何ともいたたまれないという、結局は人間のエゴを描いているようにも思える。

自分が死んだ時に、あんな目にあうのはひどく悲しいし、絶対にごめんだと思うからこそ、周囲に優しくしようと思えるのだろう。そして、死んでから、自分の罪の重さを償わなければならないという恐怖。それもまたエゴであると思う。

けれども普段の生活では、そんなことでさえもついつい忘れがちである。最終的に自分のためではあっても、人に優しくすることは良いことであるから、この本を毎年クリスマスに読んで、忘れている恐怖を取り戻し、再び心を入れ替えて、良い人になるよう努力しようと思えればいいのだと思う。

2004年12月22日(Wed)▲ページの先頭へ
Room at the Inn/Kristy Dykes, Pamela Griffin

・「Orange Blossom Christmas」/Kristy Dykes
・「Mustangs And Mistletoe」/Pamela Griffin

2004年12月21日(Tue)▲ページの先頭へ
クリスマス絵本5冊

『Jingle Bells (Little Books)』/Armand Eisen (著), Andrews & McMeel (著)
ハードカバー: 40 p ; 出版社: Andrews Mcmeel Pub (J) ; ISBN: 0836200187 ; Pop-Up 版 (1995/10/01)


『The Nutcracker: With 25 Jewel Stickers! (Jewel Sticker Stories)』/Schuyler Bull (著), Jerry Smath (著), Schyyler Bull (著)
ペーパーバック: 24 p ; 出版社: Grosset & Dunlap ; ISBN: 0448418525 ; Bk&Acces 版 (1998/09/01)


『Christmas in the Big Woods (My First Little House Books)』/Laura Ingalls Wilder (著), Renee Graef (著)
ペーパーバック: 32 p ; 出版社: Harpercollins Childrens Books ; ISBN: 0064434877 ; Reprint 版 (1997/10/01)


『Arthur's Christmas (Arthur Adventure Series)』/Marc Tolon Brown (著)
ペーパーバック: 32 p ; 出版社: Little Brown & Co (Juv Pap) ; ISBN: 0316109932 ; Reprint 版 (1985/11/01)


『Believe』/Mary Engelbreit
ハードカバー: 32 p ; 出版社: Andrews Mcmeel Pub ; ISBN: 0740711245 ; (2000/09/01)

2004年12月20日(Mon)▲ページの先頭へ
天体の孤独/藤枝るみね



内容(「MARC」データベースより)
個人所有の〈別荘〉から緊急コールが出ている…。パトロールのロジャーとハルはすぐに〈別荘〉に向かった。コールタイプから一人暮らしの所有者の死亡ということだったが、〈別荘〉に到着した二人は、別の生きた人間が潜んでいることに気づく。


だいぶ前に、ブックオフで100円で買った本。でも、新書版サイズの小さめのハードカバーで、この表紙。なにか不思議な感じがして思わず買ってしまったんだけど、ずっと読まなかった。日本の小説はめったに読まないのだが、このところ日本文学づいている(というほどでもないか)。

で、いざ読んでみたら、設定はSF(SMじゃないよ)なんだけど、ホモ系の話だったんだな。

ああ〜、このマンガチックな表紙って、やっぱりそうだったのか!って感じ。なんでそれに気づかなかったのか・・・。前に読んだアン・ライスの<眠り姫>シリーズもこういうマンガチックな表紙で、思いっきりホモ&SM(SFじゃないよ)の話だったし。

やっぱりこういう顎のとがった切れ長の目のマンガが描かれている本て、そっち系なのかあ〜?こういうマンガが表紙に描かれているだけで、レジに持っていくのが恥ずかしいのに、性癖もそっち系と思われたらまずい!(^^;

そっち系の性癖がまずいんじゃなくて、そういう性癖は、それはそれでどうぞお好きにと思うが、私にはそういう性癖はないってこと。ネット上にもあふれているこういう絵、私は好きじゃないんだけど、男の子がこういう絵に夢中になってたり、自分でも描いていたりするのを見ると、ちょっと気持ち悪い。

でもこの本の中身は、期待していなかった割には案外面白かった。問題のホモ系の描写もいやらしくなくて、さらっと読めたし、状況設定もきちんとしていて、文章もしっかりしている。よしもとばななとか、例のウィスキーのおまけについてくる女性作家たちの文章より、よほどまともだ。

言っていることもまともで、この状況なら同性同士で愛し合うのもありかな?と納得させるところもあって、なかなか上手い作家だなと思った。ジャンルはSFのエンターテインメントだとは思うけど、面白ければなんでもいい。最近あんまり面白くない本が続いたので、ちょっとすっきりした。

2004年12月19日(Sun)▲ページの先頭へ
沈黙のメッセージ/ハーラン・コーベン



内容(「BOOK」データベースより)
スポーツ・エージェントのマイロンは、プロ入りを控えたフットボール選手クリスチャンの契約金の交渉を請け負った。ところが、オーナーはクリスチャンが恋人の失踪に関係があると疑い、契約金の引き下げを要求する。マイロンが調べると、彼女の父親が数日前に殺されたことが判明した。その直後、クリスチャンのもとに当の女性のヌード写真が…ナイーヴでセクシーなヒーロー誕生。アンソニー賞に輝く話題の新シリーズ!アンソニー賞・最優秀ペイパーバック賞受賞。

※画像は原書 『Deal Breaker (Myron Bolitar Mysteries)』/Harlan Coben


ハーラン・コーベンは、話に乗れば一気に行くのだが、これがまたクソ(失礼!)だらけの小説でうんざり。前にも書いたが、F言葉を何でもかんでもクソ(失礼!)と訳すのはやめてもらいたい。

ハーラン・コーベンは、元FBIでスポーツ・エージェントの<マイロン・ボライター>シリーズが人気があるようなのだが、個人的にはシリーズ外のほうがまだいいかもと思う。ジェットコースター・ノベルで、たしかに一気に読ませる手腕は認めるが、主人公はユーモラスな人物であるという設定にも関わらず、ほとんどのジョークが笑えないというのが気の毒。それが面白いという人もいるだろうけど、私には今いち。こんな余計なことを書いてないで、早く先に進めて欲しいと思いながら読んでいた。

で、前に読んだ 『唇を閉ざせ』 でもそうだったのだが、結末がどうも納得いかない。500ページ以上も書いてきて、最後これですか?って感じ。ユーモアにしても、話の結末にしても、あまり頭のいい作家とは思えない。私は1作でうんざりだな。とにかく汚い言葉が満載で、やはりクソ(失礼!)だらけのジョージ・ソウンダーズも真っ青って感じ。

それに、ハーラン・コーベンの描く主人公には、全然ヒーローがいない。カッコイイ活躍なし。胸のすく展開なし。ミステリの主人公がヒーローばかりとは限らないけど、シリーズものの主人公に魅力がないと、続きを読みたいという気にはならない。でも、あと3冊ある。。。うげ!

2004年12月18日(Sat)▲ページの先頭へ
姉の歌声を探して(BOOK PLUS)/リサ・ジュエル



カバーより
イギリスの人気女性作家が贈る、大人色のシンデレラ・ストーリー。
はじまりは、長く消息を絶っていた姉の急死。知らせを受け取った妹のアナは、信じられない思いで彼女が最期を遂げたロンドンへやってきた。元ポップ・スターで、自分とは正反対の社交的な美人だった姉のビー。けれど彼女の住まいは期待を裏切られるほど味気なく、侘しいものだった─。遺されていたのは知らない男にあてた一篇の詩と、手つかずの大金。いったい、姉に何があったのだろう?彼女はなぜ、死んだのだろう?

ビーの親友たちに出会い、姉の真実を探る中で、片田舎でわがままな母親に縛られていたアナの人生は、急激に溶け出してゆく。そして知るのは、大きな悲しみに包まれていた姉の孤独と、アナにとってはじめての、心からの愛。


シンデレラ・ストーリーなんて書いてあるから、楽しい話かと思ったら、冒頭から死臭の漂うくらい話だった。最後はハッピー・エンドになるのだが、どんなに明るくしても、最初に嗅いでしまった死臭が抜けず、ずっと不気味な感覚がつきまとった。話としてはいい話だと思うのだが、汚い言葉も多く、女性作家なのにそこまで書くか・・・といった感覚になってしまい、非常に残念。

主人公の恋人になる男は、絶対守ってやるというタイプで、なかなかいい感じだったんだけど、身長180センチで、3日もオフロに入らなかったり、シャンプーをしてなくても気にならないような主人公には、まるで共感がわかなかった。そもそも、身長180センチの女の子の気持ちが、私にわかるはずもない。羨ましいと思うばかりだ。身長が違うと、絶対に世界観も違うだろう。

話の構成は面白いと思ったのだが、主人公の姉の親友(黒人のスリムな女性で、やはり身長が180センチ)のしゃべり言葉が関西弁ってのが、ずっこけ。彼女には訛りがあるらしいのだが、訛りといえば東北弁というのも能がないなとは思うけど、ロンドンで黒人が関西弁とは・・・。これは英語より読むのが難しかったかも。

2004年12月17日(Fri)▲ページの先頭へ
我が罪/宗方慶司



内容(「BOOK」データベースより)
意識と無意識の間に存在する、一つの罪。人がその真実に気づく日は訪れるのだろうか?罪からはじまる四部作第一弾。22歳の新鋭が鋭くも静かに描く。

内容(「MARC」データベースより)
受け取ったことすら忘れていた自殺をほのめかす彼からの手紙。手紙を受け取った3日後、彼は事故死した。10年の年を経てのしかかる罪の意識。無意識とはもっとも重い罪であるのか…。罪からはじまる4部作第1弾。

2004年12月12日(Sun)▲ページの先頭へ
Going Home/Danielle Steel



From Publisher
In the sunswept beauty of San Francisco, Gillian Forrester is filled with the joy of a love that will surely last. But a painful betrayal forces her to flee to New York and a new life. There she discovers an exciting new career and a deep, enveloping passion...only to have her newfound happiness shaken to its core. Now Gillian must choose between her future and her past, to find in the deepest desires of her heart the one way, the only way of...GOING HOME.

※ダニエル・スティールの第一作目


かなり前にバーゲンで買ってあった、ダニエル・スティールのPBだが、表紙が真っ赤で背表紙が金なので(上の画像とは違う)、なんとなくクリスマスっぽいと思って読んでいた。

途中でクリスマスの描写もあって、当たらずとも遠からじという感じだったが、第一作目ということで、状況設定が幼稚だなという感じは否定できない。一作目だからしょうがないとも言えないが、今でも設定の甘さを感じるダニエル・スティールだから、まあ仕方がないか。

とはいえ、主人公ジリアンの行動にはあきれ果てた。相手のクリスの節操のなさにもびっくり!紆余曲折を経て、結婚の約束までこぎつける二人なのだが、このままうまくいくはずがないと思っていたら、やっぱりね。。。


離婚をしたジル(ジリアン)は、5歳の娘を連れてニューヨークからサンフランシスコに引っ越す。そこでスタイリストの仕事をし始めたジルは、仕事の初日にカメラマンのクリスに会い、出会った初日にもう恋人状態。会社の人から「クリスはやめておいたほうがいい」と釘を刺されたにも関わらず、すぐに同棲【恋は盲目!】。

ところが、ある日仕事から帰ってきたジルが目にしたものは!なんと若い女と自分たちのベッドでメイクラブしているクリス【なんてクレイジーなんでしょ!】。腹を立てるジルに、クリスは「ぼくだって若いんだから、楽しみは必要だ」と開き直る【楽しんでもいいけど、家でやるなよ!】。そんなクリスの態度が理解できないジルは、家を出る。

しかし、離れてもクリスが忘れられず、結局また会うことに。しばらくして、ジルが妊娠したことが判明したが、クリスは「なぜ避妊しなかったのか」とジルを責め、中絶をすすめる。結婚など今は無理だと【だったら、自分が気をつけるべきだろう】。

絶望したジルは、一人で産むことを決意し、クリスと分かれて再びニューヨークに戻り、生活のために雑誌社に勤め始める。そこで知り合った上司のゴードンと深い仲になり【妊娠しているのにも関わらず!】、娘が一人で寂しいと言うのも構わず【ああ、無情!娘が憐れ!】、ゴードンとの逢引を重ねる【ゴードンは金持ちだからか】。その間に、クリスは元カノとよりを戻して一緒に住み始めていた【アンビリーバブル!】。

そんな折、クリスが仕事でニューヨークにやって来て、ジルのアパートに滞在する【よくもしゃあしゃあと!】。当然ゴードンは怒り心頭。とはいえ、お腹の子どもがクリスの子であることは事実だから、優しいゴードンは身を引く。そうしながら、いまだにゴードンに未練のあるジル【懲りないんだなあ】。

そうこうするうち、クリスが元カノと別れたことを知ったジルは、やっぱりクリスを愛していると思い、再びサンフランシスコに引っ越す。そこでクリスはジルにプロポーズをする【なぜ急に!?】。すべてが順調に行き、結婚式を明日に控えたジルに、不幸が襲う。クリスが仕事中の事故で、急死したのだ【オーマイガッ!ていうか、やっぱりね】。

不幸のどん底に落とされたかのようなジル。悲しみに沈んで、一生立ち直れないかと思っていた矢先、フランスに行ったゴードンから、夏にフランスへ来ないかと誘われ、迷った挙句、ジルはフランスへ旅立つ。ゴードンに抱きしめられて、「I'm Back!」と言うジル【立ち直りというか、変わり身が素早い!】。


最高に悲しい結末のはずなのに、実際はハッピーエンドになってしまい、これじゃあんまり都合が良すぎるだろうって感じ。なんだ、これ?それに、妊婦が大もてだなんて、聞いたことがないぞ!お腹の中にも子どもがいて、5歳の子どももいるのに、それをベビーシッターに預けて、毎晩ニューヨークのナイトライフを満喫しているなんて、信じられない。

こういう話が受けてしまうのも、アメリカならではなんだろうか?私はロマンスものも好きだし、それはそれで楽しんで読んでいるけれど、この話は登場人物が皆、大馬鹿野郎だと思う。こんなの有り得ない!と叫びたくなった。私の本音はすべて【】の中。

2004年12月07日(Tue)▲ページの先頭へ
冷血/トルーマン・カポーティ



カバーより
アメリカ中西部の片田舎の農村で、大農場主クラター家の4人が惨殺された。著者は、事件発生から、ペリー、ディックの2人の殺人者が絞首台の露と消えるまで、犯人の内面の襞深くわけ入り、特にペリーには異常なほどの感情移入をして、この犯罪の本質に鋭く迫っていく。細密な調査と収集した膨大なデータの整理に5年間の全生活を賭けて完成した衝撃のノンフィクション・ノベル。

●画像は原書 『In Cold Blood: A True Account of a Multiple Murder and Its Consequences (Vintage International)』


11月のブッククラブの課題本だったのだが、12月になってやっと読み終えた。文庫版で約550ページくらいの本で、厚いといえば厚いが、特別に分厚いというわけでもないのに、なぜか遅々として進まない本であった。進まない理由のひとつに、翻訳の日本語がどうもすんなり入ってこないというのがあった。昔の古い翻訳は、みなこんなものだとも思うのだが、内容は1950年代から60年代のもので、初訳は1967年だから、これもまた特別に古いというわけでもない。

現在では、惨殺事件はこれまた珍しくもないことだが(嘆かわしくも)、カポーティの時代には、かなりショッキングな事件であったのだろうと思う。しかし、カポーティがこの事件に興味を持ったのは、犯人のひとりであるペリー・スミスに、尋常ならざる好奇心をかき立てられたせいではないだろうか。本書の冒頭から、すでにカポーティのペリーへの思いは明らかである。

犯人のペリーとディックが、なぜクラター一家を惨殺したのかという理由は、二人が述べた理由以外には書かれていない。なぜ?という疑問は大いにあっただろうが、ノンフィクション・ノベルというからには、作者の推測はご法度だろう。それでも言外に、ペリーの精神的な鬱屈によるものではないかというカポーティの意見は読み取れる。

この本の感想を書くにあたって、事件の内容や、犯人について書くのは見当違いだろうと思う。それについては本書の中で、カポーティが事細かく描いているのだから、今さらここに書くまでもない。だから、なぜカポーティがこのような作品を書いたのか、この作品で何を言いたかったのかということを考えるほうがいいのだろうと思う。

これまで読んだカポーティの作品は、ほとんどが<イノセント・シリーズ>といわれるもので、そのシリーズは、個人的には大好きである。そのイメージがかなり強いために、他のイノセントでない作品が受け入れられなかったりもする。例えば、遺作である 『叶えられた祈り』 などは、こんなカポーティは読みたくない、知りたくないと思うほどだ。私にとってカポーティは、あまりにもイノセントなイメージが強すぎるのだ。

だが一方で、カポーティが根っからイノセントでないことも知っている。親の愛情に飢えたエキセントリックな人物であり、「早熟の天才」と言われているように、ある意味で狂気と紙一重のところにいたことも知っている。単なる個人的な好みとしては、そんなカポーティには目をつぶっていたいと思うのだが、この『冷血』で、目をつぶっておきたいはずのカポーティが、ペリーという殺人犯の姿となって、よりにもよってカポーティ自身の手で、あますところなく暴き出された感じがする。

そういった意味で、カポーティはこの作品で大きな冒険と賭けをしたのではないかと思える。ペリーという人物が、読んでいるうちにカポーティのイメージと重なり、カポーティはほとんど自虐的なまでに、自分自身を描いたかのようにも見える。おそらく、事件を知ったカポーティは、そこに自らの姿を見たような気がしていたことだろう。親の愛情を知らず、周囲にいじめられ、捻じ曲がっていったペリーの心に、自らの経験を重ねたことだろうと思う。

そう考えると、カポーティがこの事件を取り上げ、特にペリーに感情移入していったのは、なるほどもっともなことだと思えるのだ。作品を書くにあたって、幼馴染のハーパー・リーに調査を手伝ってもらったというのも、彼女以外にはできない仕事だったからではないだろうか。幼い頃のカポーティの状況を一番良く知っているのは、彼女だろうから。

2004年12月06日(Mon)▲ページの先頭へ
わが心のディープサウス/ジェームス・M・バーダマン、スティーブ・ガードナー



<カバーより>
ブルースの魂と、ミシシッピを胸に──街に流れるベニエとチコリコーヒーの香り、川面にこだまする蒸気船の汽笛、そして果てしないデルタの平野は季節に鳴ると真っ白な綿花で覆われる──南部出身の二人が望郷の思いとともに描く、アメリカの中の異郷。


現在、日本在住、早稲田大学文学部で教鞭をとるジェームス・M・バーダマン教授は、生粋のアメリカ南部生まれ、アメリカ南部のネイティブである。だから、よそから観光で訪れた人間にはわからない、南部の根底にある感覚を持ち合わせている。そんなバーダマン先生が、故郷の南部を旅した時のエッセイと写真集。

私が、「こういう写真を見たかったんだよね」という、まさにアメリカ南部らしい、きっとこんな風景に違いない、あるいは、こうであってほしいと想像している風景が、この本には載っている。カメラマンのスティーブ・ガードナー氏も南部生まれで、その二人が組むと、彼らの心の奥底にあるノスタルジーまでが、文章と写真に溢れてくるようである。

早稲田のアメリカ南部映画祭で、さんざん南部の食べ物についての講釈を聞かされていたが、先生、やはり食いしん坊だったようで、どこに行っても食べ物の話がついてまわる。アメリカの食べ物はまずいという先入観があるが、そこで生まれた人にとって、まさに南部のホーム・クッキングは、「おふくろの味」ということになるのだろう。いかにも暖かい心のこもった、おいしそうな料理の描写が続く。

また、ミシシッピ河とは切っても切れない南部の生活が、うわべだけのものでなく、良い面でも、悪い面でも描かれている。まさにマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィン」を髣髴とさせる場面だ。ジャズやブルース、各種のフェスティバルについても、趣味としての音楽や祭りでなく、その土地に根ざした南部の人たちの日常がうかがえる。

そして、ところどころに南北戦争や黒人奴隷といった南部の歴史が散りばめられた文章は、やはりそこで生まれた人にしかわからない悲哀のようなものを感じさせつつ、またバーダマン先生個人の故郷への思いと繋がって、胸を熱くさせる。

掲載されている写真も素晴らしい。光と影のコントラストが、「ディープサウス」という言葉とあいまって、奥行きのある深みを感じさせる。

2004年12月02日(Thu)▲ページの先頭へ
その名にちなんで/ジュンパ・ラヒリ



内容(「MARC」データベースより)
「ゴーゴリ」と名づけられた少年。その名をやがて彼は恥じるようになる。進学を機に、ついに改名。生まれ変わったような日々のなか、ふいに胸を刺す痛みと哀しみ。そして訪れる突然の転機…。ふかぶかと胸に沁みる長篇。


例によって不思議な感覚にとらわれている。インドから移民した人たちの話だが、前作の短編集 『停電の夜に』 でも感じた奇妙な感覚が、いまだに抜けない。アメリカに渡って、アメリカ式の家に住み、アメリカ人と同じように生活しているのだが、その中で相変わらずサリーを着ていたり、毎日インド料理を食べたりしているというのが、なんとも不思議なのだ。というか、その民族性に、こちらが慣れないのだ。

そこには、宗教の違いとか、文化の違いとか、いわずもがなの事実があると思うけれど、これはアメリカの小説なのだと思いながらも、でも違う。なんとも奇妙な感じがして仕方がない。アメリカにおける、ほかの民族には感じられない独特の感覚がある。

インドのサリー姿の女性は、痩せていようが太っていようが、皆エキゾチックできれいだなと思うのだが、先日1台の車に5、6人がぎゅうづめになって乗っている光景を見て、なんて濃い空間なんだろうと思った。一人一人は、サリーもきれいだし、彫りの深い顔が美しいのだが、集団になると、まるでそこがブラックホールのように密度が濃くなっている感じがする。

うまく言えないのだが、インド系の小説(ほとんど読んだことがないので、ジュンパ・ラヒリの小説と言ったほうがいいかも)には、そういった密度の濃さを感じる。アメリカで生まれた子どもたちは、アメリカ式の食事をしたりしていて、キッチンにはアメリカのブランドの食品が並んでもいるのだが、そこに、どうやっても消せないカレーやスパイス、タマネギや唐辛子、マスタードオイルの匂いが存在する。

日本人がアメリカで暮らしても、やはり日本食は食べるだろう。たまにはキモノも着るかもしれない。でも、インドの人のように、かたくなに母国の習慣を守るということはないだろうと思う。「郷に入れば郷に従え」というようなことわざは、インドにはないのかもしれない。

ジュンパ・ラヒリは、奇想天外なことが書いてあるわけでもないのに、淀みのない文章で一気に読ませる、とても上手い小説家だと思う。日本語版の読みやすさは、翻訳家の力によるところも大きいだろうとは思うが、一つのパラグラフが長い割には、途中でうんざりすることもなく、流れるように進んでいく。およそ女性作家らしからぬ作家(これは褒め言葉だ)だと思う。

ただ、当たり前かもしれないが、どうしてもインドの匂いがつきまとう。だからこそジュンパ・ラヒリなのだと言えるのだろうが、私はその部分に、いまだ奇妙な感覚を消せず、なにやら落ち着かない気分になる。

そんな感覚にずっと包まれながら読んでいたが、この小説は「面白かった」と表現すると、なんだか違うような気がする。感動とも違う、胸が痛くなるような小説だった。

本当は、二つの大陸で生きたインドからの移民ということについても書くべきなんだろうけれど、個人的には主人公のゴーゴリというよりも、その両親のアシマ(母)とアショケ(父)のほうへの感情移入のほうが大きく、自分の両親について、ゴーゴリの両親のように、彼らにも彼らの人生があったのだなどと考えたことがないという事実に愕然とした。私は父や母について、父と母であるという以外に、ほとんど何も知らないのだ。

以前、父の短歌帳を見たときに、心臓をぐっと掴まれるような衝撃を感じたことを思い出した。弟が結婚するときのことを詠んだ歌に、「息子はなんて楽しそうなんだろう、自分の青春時代は戦争ばかりで、あんなに楽しそうにすることはなかった」といったようなことが書かれていた。その時、父にも弟と同じ年頃、同じ感情を持った時代があったのだと、青天の霹靂みたいに思ったのである。戦争が、父のそういった青春を全部奪ってしまったのだと、自分のことのように悔しい思いがして、涙が出た。

ゴーゴリの両親同様、私の両親も見合い結婚だったから、恋愛もせずに結婚するとは、一体どんな感じなんだろう?と不思議にも思っていたが、昔はみなそうだったんだくらいにしか思っていなかった。しかし、そういう結婚をして、家族を大事にするという責任感は、今の人たちよりもずっと強かったに違いないと思う。恋愛だろうが、見合いだろうが、結ばれる運命というものがあるならば、恋愛が絶対条件ではないはずだ。もっと強い絆があるに違いない。けれども、父や母にそんなことを聞いてみるようなことは、ついぞなかった。

そんな風なことを考えながら本を読んでいたら、ゴーゴリの父親が死んだところとか、プレゼントされた「ニコライ・ゴーゴリ短編集」に書かれていた父親の文章を、ゴーゴリがまるで初めて見るかのようにショックを受けながら読んだところとか、子どもがいかに親のことを知らずにいるかということを思ったら、本当に悲しくて仕方がなかった。その父親は、穏やかで責任感のある立派な父親だった。嫌で嫌でたまらなかったゴーゴリという名前にも、実は深い、深い意味があったのだ。

『停電の夜に』 の表題作では、そのへんのロマンス作家ならば、堂々と長編小説に、それも上下巻にもしてしまうような話を、無駄をそぎ落として短編にまとめあげた手腕はたいしたものだと感じたが、今度は長編ではあるが、なおかつそうした短編がたくさん詰まっているかのような感じを受けた。

2004年11月26日(Fri)▲ページの先頭へ
ドラゴンランス(6)天空の金竜/マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン



内容(「MARC」データベースより)
全世界5000万部ファンタジーの第1幕がついに完結! 連続する危機、意外な展開、驚くべき結末に、あなたは涙する。そしてはりめぐらされた伏線の数々が、今こそ明らかに! 1987〜88年刊「ドラゴンランス戦記」改題。





<6巻のまとめ>

ローラナを救うために、<暗黒の女王>の地ネラーカに赴いたタニスたちだが、この巻で老ドワーフのフリントは、心臓発作を起こしてこの世を去る。騎士スタームのように、名誉のうちに死んでいくものもあれば、フリントのように、突然去っていく者もいる。悲しみに沈む一行の中で、謎の魔術師フィズバンが、フリントの遺体を抱いて、聖なる地へと連れて行く。老体とは思えぬその行動に、フィズバンとは何者だろうかという疑問がさらに深まる。

ネラーカの町で、タニスらは敵に捕らえられてしまうが、タニスはキティアラに取り入ることで、敵の中に潜入する。すでにキティアラからは心が離れているタニスだが、それでも完全にとはいえない。このまま敵方に入ってしまえば、どんなに楽かという思いも否定できない。だが、今はローラナを助けることが最も大事なこと。タニスもその気持ちに気が付き始めた。けして裏切らない。何があっても信じていて欲しいと仲間に伝える。

いよいよ<暗黒の女王>に謁見するときが来て、タニスはキティアラに服従するという苦しい演技をする。いざローラナが女王に捧げられるというとき、タニスは行動する。もはやキティアラには従わず、どんなことがあってもローラナを助けると宣言する。このときに助けてくれたのは、誰あろうレイストリンであった。

そして、仲間の皆が、苦しい中を必死で戦い、敵を倒し、ローラナを助け出し、とうとう暗黒の女王も消え去り、ようやく世界に平和が訪れたかのように見える。だがキティアラは今も生き残り、次の機会を待っているし、ドラゴン軍も全て滅びたわけではない。強大な魔術師となったレイストリンの本当の目的も不明である。話はまだまだ続いていくのである。

最後に、タニスはローラナに愛を打ち明けるが、ローラナはすぐには承諾しない。昔、愛していると思ったのは、幼い恋心でしかなかったので、大人になった今、もう一度考えてみるという答えであった。タニスもそれを了承する。すでにエルフとのわだかまりは解けている。

もうひとつ、謎の魔法使い老フィズバンは何者であったのか。その答えがこの巻にある。彼は善の神パラダインであった。

2004年11月25日(Thu)▲ページの先頭へ
ドラゴンランス(5)聖域の銀竜/マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン



内容(「MARC」データベースより)
かつてない壮大さと感動のファンタジーの第5弾。ドラゴン、騎士、エルフなどが争う壮大な「剣と魔法」の世界。ハラハラ、ドキドキの海外ファンタジー。1987〜88年刊「ドラゴンランス戦記」の改題。




<5巻のまとめ>

5巻では、じっと隠れていた善竜(銀竜系)たちが、悪竜たちと戦うために続々と登場する。また<暗黒の女王>が狙っている<緑宝石の男>ベレムが、タニスらに説得されて、<暗黒の女王>の地ネラーカに赴くことを了承する。女王がなぜ彼を必要としているのか不明だが、ベレムの胸に埋め込まれた緑色の宝石が、かつて<暗黒の女王>を呼び出したのである。そこに行けば、解決の糸口があるのではないかとの考えからだ。

キティアラの留守中に、仲間のもとに戻ったタニスは、嵐をついて船に乗るが、この仲間は、キャラモン、レイストリン、ティカ、ゴールドムーン、リヴァーウインドである。この船で、タニスらはベレムに出会い、かれを伴って、<暗黒の女王>のもとへと旅をするのだ。

しかし、途中でドラゴン(キティアラ)の襲撃を受けた船は、大渦巻きにのまれて沈没してしまう。だが、不思議なことにタニスらは、乾いた土地で目を覚ました。海底にあるシーエルフの土地である。

シーエルフの助けで、再び地上に戻ったタニスたちは、のちにローラナ、ギルサナス、タッスルホッフ、フリント、シルヴァナらと合流するが、その前に、ローラナたちは騎士たちの都カラマンで大いなる勝利をおさめており、ローラナは人々の英雄となっていた。だが、タニスが大怪我をして死に際にローラナに会いたがっているというキティアラの計略にだまされ、ドラゴン軍の捕虜にされてしまう。そこで、タニスらと再会するのだ。

そして、タニス、ベレム、ティカ、タッスルホッフ、フリント、キャラモンは、ローラナの救出へと向かう。

ここでは、竜の化身であるシルヴァナにより、ドラゴンの中にも善の竜がいることがわかり、それが非常に嬉しかった。だが、キティアラは相変わらずドラゴン軍にいる。それほど富と名誉が欲しいのだろうか。世界を支配する力が欲しいのだろうか。すでにタニスの心はキティアラから離れているようだが、まだキティアラの本心はわからない。

2004年11月24日(Wed)▲ページの先頭へ
ドラゴンランス(4)尖塔の青竜/マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン



内容(「MARC」データベースより)
かつてない壮大さと感動のファンタジーの第4弾。ますます展開もドラマチックになり、物語もひとつの大きな山場にさしかかる。ドラゴン、騎士などが争う「剣と魔法」の世界! 1987〜88年刊「ドラゴンランス戦記」改題。




<4巻のまとめ>

この巻では、タニスよりも騎士スタームが中心となる。騎士審理において、デレク卿の差し金で正式な騎士に任命されなかったスタームだが、ローラナたちの証言により汚名も晴れ、立派な騎士となる。最後に、その騎士道精神を発揮したスタームは、たった一人で青竜と対決し、名誉のうちに死んでいく。

その時の青竜には、タニスの恋人キティアラがドラゴン卿として騎乗しており、スタームの遺骸の前で、ローラナと対面するのである。それより以前に、キティアラはタニスに再会し、自分の軍隊に入るよう薦めているのだが、キティアラの変貌にとまどうタニスは、愛と友情との板ばさみで苦悩する。

一方、スタームを愛しているアルハナ姫は、スタージュエルが輝かなくなったことで、スタームの死を知るが、父王の墓にジュエルを埋めようとしたとき、再びスタージュエルが輝きだし、不滅の愛を確信するが・・・。

魔術師レイストリンは、待ち望んでいたドラゴン・オーブを手にしたことで、自分の目的を達成しようと、オーブに向かう。力のあるものだけがオーブを支配できるというのだが、レイストリンは瀕死の状態になっても、オーブには負けなかったため、密かにオーブの支配者となり、強大な魔術を身につけるようになった。

4巻目にして、やっとタニスの恋人であるというキティアラが登場するのだが、なんと名誉欲の強い彼女は、敵方のドラゴン卿となっていたのだ。ドラゴン軍に捕らえられたタニスが、彼女の軍の士官になったと嘘をついてキティアラに助けを求めるのだが、キティアラは本当に<暗黒の女王>に忠誠を誓っているのだろうか?キティアラの本心はどうなのか?タニスがローラナをふってまで愛を貫こうとしている女性が、これほど邪悪であるとは信じられない。

この巻で最も感動的なのは、騎士スタームの死であるが、高潔で勇気と責任感にあふれたスタームが、命を懸けて、たった一人で世界を守るためにドラゴンに向かっていき、倒れるところでは、本当に涙が出た。自分のことばかり考えている人間の多いこの世の中で、このような自己犠牲の話は、いつだって涙を禁じえない。

また、この巻で、前に死んだはずの魔法使いフィズバンが再度現れる。フィズバンとは、一体何者なのか?

2004年11月22日(Mon)▲ページの先頭へ
ドラゴンランス(3)氷壁の白竜/マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン



内容(「MARC」データベースより)
かつてない壮大さと感動のファンタジーの第3弾。ドラゴン、エルフ、ドワーフ、ゴブリン、ユニコーンなどが総登場。おもしろさ保証付きの「剣と魔法」の世界を堪能しよう! 1987〜88年刊「ドラゴンランス戦記」改題。




<3巻のまとめ>

パラダインの僧侶エリスタンや、ソラムニア騎士の一行を加え、パックス・タルカスでの勝利を収めたタニスらは、山ドワーフの王ホーンフェルに戦利品の<カーラスの槌>を献上することで、ドラゴン軍に奴隷にされていた人々を、地下にあるその王国トルバルディンに移住させてもらうようはからう。

しかし、勝利は一時のもので、タニスらは再びクリンを暗黒の女王から救うため、伝説の港都タルシスへと旅を続ける。だが、タルシスには海はなかった。このタルシスもまた、ドラゴン軍によって滅ぼされる。

ここにいたシルヴァネスティ・エルフは、ローラナたちクォリノストのエルフたちとは別の種族だが、けして仲がいいとは言えず、暗黒の世にあっては、一触即発の危機さえある。シルヴァネスティ・エルフもまた、暗黒の力によって、故郷を捨ててきたのだ。ここで、騎士スタームは、エルフの姫アルハナと恋に落ちる。

シルヴァネスティの姫アルハナは、ただ一人都に残った父王を探すため、タニスらに同行を願う。父王はドラゴンを破るという<ドラゴン・オーブ>を持って、ひとり残ったのだという。大きな河を渡ってシルヴァネスティに到着した一行を待っていたのは、ロラック王の悪夢だった。それぞれが王の悪夢に囚われ苦しむが、それを打開したのは、双子の弟、魔術師のレイストリンだった。

ロラック王を悪夢から解放したあと、<ドラゴン・オーブ>はレイストリンの所有となる。力のある者にしか扱えないオーブは、目下のところレイストリンにしか使えないのだ。実際、レイストリンでさえ扱えるのかどうか疑わしいのだが、ともあれ、目的地サンクリストまで大事に運ばねばならない。

一行は、折れた伝説の<ドラゴンランス(竜槍)>を見つけ、オーブと共に持ち帰る。このあたりで一行は二手に分かれる。ローラナたち一行の<氷壁城>への旅と、悪のドラゴン卿フェアル=サスに対する勝利は、<氷原の蛮族>のあいだで伝説となった。そこには氷壁があり、中に白い竜と騎士が閉じ込められていた。それが、<ドラゴンランス>でドラゴンを倒したという、伝説の騎士ヒューマであるのかもしれない。

氷壁城でめざましい活躍をみせたローラナの一行は、故郷クォリネスティを離れたローラナの父や兄と再会する。そこはカガネスティ・エルフ(野生エルフ)の里で、怪我をしたギルサナスを介抱したシルヴァラに案内され、山深いヒューマの墓(遺体はない)へと赴く。そこで、英雄ヒューマが乗った銀竜の話と、シルヴァラの重大な秘密を知ることになる。

この巻では、高潔な騎士スターム・ブライトブレイドと、エルフの姫アルハナとの悲恋が描かれる。現実には結ばれない運命の愛なのだが、アルハナがスタームに贈った、命ある限りお互いの消息を知ることができるという<スター・ジュエル>により、二人の心は結ばれたのかもしれない。

また、ローラナの兄ギルサナスもまた、シルヴァラとの悲恋に苦悩する。彼は知らず知らずに、英雄ヒューマと同じ恋愛に身をゆだねてしまうのだが、この愛も行く末はおそらくヒューマと同じ運命となるのだろう。

2004年11月20日(Sat)▲ページの先頭へ
ドラゴンランス(2)城砦の赤竜/マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン



出版社/著者からの内容紹介
剣と魔法のファンタジー第2巻。謎が謎を呼ぶ展開の中、魅力的なキャラクターたちが仲間同士の葛藤や死を賭した友情を描く。死を賭した友情を描く。

内容(「MARC」データベースより)
一行はいったん故郷ソレースに戻るが、そこはすでにレッドドラゴン群の火炎に焼き尽くされた後であった。ドラゴン群の捕虜となり、奴隷鉱山に送られる一行は…。1987〜88年刊「ドラゴンランス戦記」改題。




<1巻と2巻のまとめ>

それぞれの冒険に出かけていた、ハーフ・エルフのタニスを中心とする仲間たちは、5年後の今日、ソレースの<憩いの我が家>亭に集まる約束をしていたが、タニスの恋人キティアラだけは姿を現さなかった。

タニス、フリント、タッスルホッフが待つ中、スタームが蛮族の男女(ゴールドムーンとリヴァーウィンド)を連れてくる。炉辺にいた老人の話がきっかけで騒ぎが起こり、タニスたちは、青水晶の杖を持っていることが明らかになった蛮族の男女とともにティカの家に逃げるが、さらに杖を探しているドラゴン軍の兵士(ドラコニアン)たちから逃れるため、再び冒険の旅へ出ざるを得なくなった。

1巻では、空の<暗黒の女王>と<雄々しき戦士>の星座が空から落ち、再びこのクリンの世界に戻ってきて、世の中が次第に暗黒に染まっていくいきさつが描かれている。逃亡先の寺院で黒竜に襲われた一行は、ゴールドムーンの杖の導きにより、女神ミシャカルの元へとたどり着く。その時より、ゴールドムーンは蛮族の族長の娘であり、またミシャカルの神官として存在することになる。

2巻では、暗黒の女王に仕えるドラゴン軍の勢力は大きく、ソレースの町も赤竜に焼き尽くされてしまう。この時タニスたちは、ソレースに戻ってくるのだが、ドラゴン卿ヴェルミナァルドに捕まり、<憩いの我が家>亭のティカともども、鉱山のあるパックス・タルカスへ、奴隷として送られる。その護送車の中で、エルフのギルサナス、鍛冶屋のテロス、不思議な魔術師フィズバンと会う。

ギルサナスの仲間の助けによって、護送車から脱出したタニスら一行は、エルフの都クォリノストに着く。クォリノストは、タニスが子ども時代を過ごした場所で、そこを去る原因ともなったローラナ(ギルサナスの妹)が住んでいる。人間とのハーフであるタニスは、ローラナとの恋に悩み、それが引き起こす影響を考えた結果、都を出たのだった。

タニスはいたたまれぬ思いでクォリノストを後にし、仲間を率いてパックス・タルカスへ攻め入るが、幼い恋心を抱いたままのローラナは、タニスを追って家出をしてくる。恋人キティアラのことがあるため、ローラナに諦めるよう説得するタニスだが、やむにやまれずローラナを仲間に加える。

そして、パックス・タルカスでの壮絶な戦いは、ドラゴン軍の2頭の巨竜による戦いにより、幕を閉じる。その後、さまざまな難関を乗り越えたゴールドムーンとリヴァーウィンドは、めでたく結婚する。

2004年11月19日(Fri)▲ページの先頭へ
ドラゴンランス(1)廃都の黒竜/マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン



出版社/著者からの内容紹介
コンピュータRPGの元祖「Dungeons & Doragons」をベースにした剣と魔法のファンタジー第1巻。謎が謎を呼ぶ展開の中、魅力的なキャラクターたちが仲間同士の葛藤や、死を賭した友情を描く。

内容(「MARC」データベースより)
剣と魔法の世界クリンを舞台に、ハーフ・エルフの剣士タニス、魔術師レイストリンらの冒険者一行が、闇のドラゴン軍との戦いに巻き込まれてゆく。1987〜88年刊「ドラゴンランス戦記」改題。


<主な登場人物>

タニス : 孤児のハーフ・エルフの戦士で、一行のリーダー役。自分の中に半分ずつ流れる人間の血とエルフの血との葛藤に悩む。弓と剣の名手。

レイストリン : 異例の若さで<大審問>をパスし、肉体を犠牲に強力な魔術師となった双子の弟。頭脳明晰だが、謎と疑惑の多い人物で、仲間からも疑いの目で見られている。

キャラモン : 双子の兄で、陽気でおおらかな巨漢の戦士。常に弟と行動をともにし、体が虚弱な弟の身の安全を第一に考える。大食漢で、怪力の持ち主。

スターム : 正義と名誉を何よりも重んずる、厳格な騎士道に生きる人間。融通が利かない面もあるが、常に困難な任務を率先して受け持ち、頼りになる。

フリント : 頑固なドワーフ族の老戦士。木や金属を利用した細工物造りの名人。不平、不満も多いが、本当は仲間を深く愛している。タニスとはもっとも古いつきあいである。

タッスルホッフ : 恐怖の感情とは無縁な、好奇心旺盛なケンダー族の男。手先が器用で、錠前破りの名人。いたずら好きで、他人の持ち物を勝手に“借りる”ことも多い。

ゴールドムーン : 聖なる青水晶の杖を持つ、蛮族の族長の娘。金と銀の髪をした美しい姫。リヴァーウィンドに対しては恋人であると同時に支配者でもあり、その葛藤に悩んでいる。

リヴァーウィンド : ゴールドムーンの恋人である長身の蛮人戦士。無口にして無表情だが、他人のことをあれこれ詮索するようなことはしない誠実な男。森林や荒野に関して詳しい。

ギルサナス : クォリネスティ・エルフの長<太陽の評議長>の次男(第2王子)。タニスとは兄弟のように育てられたが、妹をめぐり対立している。魔術の心得もある。

ローラナ : ギルサナスの妹で、絶世の美女。タニスへの恋心と冒険を通じて、甘やかされた無垢な少女から、人として、軍人として、大きな成長を遂げていく。

ティカ : <憩いの我が家>亭の元看板娘。陽気にして天真爛漫、火のような性格をした赤毛の美少女。フライパン叩きの名人。料理上手で、キャラモンとは惹かれあっている。

キティアラ : キャラモン、レイストリンの美しい異父姉で、タニスの恋人。激しい気性を持つ凄腕の女戦士で、官能的な魅力に溢れる。しばらく行方知れずだったが・・・。


<主な種族>

エルフ : 人間よりやや背が低く、やせている種族。とがった耳が特徴。その多くは容姿端麗で、自然美、音楽、舞踏を深く愛する。見た目は弱々しいが、非常に長命で、中には1200歳まで生きる者も。弓の扱いがうまく、歌や詩に秀で、魔法と剣技に多大な関心を示す。暗闇でも体温のある生物なら見ることができる。

ドワーフ : 背は125cm前後と低いが、筋肉質の頑健な肉体を持つ種族。髭もじゃで頬が赤く、目も髪も黒い。平均寿命は350〜450歳。その多くは金属細工や石工芸など手先の技に長じており、ドワーフ製の武器や防具、装飾品は世界中で高値で取引されている。非常に勇敢で不屈の戦士でもある。

どぶドワーフ : 別名アガー。ドワーフ族の最下層民で、他のドワーフ族からは縁を切られた存在。生存欲が何にも増して強く、そのためには臆病さも卑屈さも、そして卑怯な行為ですらも美徳とされる。遠い祖先はドワーフとノームの混血であると言われる。その多くは汚い場所に群れをなして暮らしている。

ケンダー : 小柄で身軽、そして器用な種族。恐れを知らず、好奇心旺盛で、ちゃめっけもあるが、手癖が悪い。(他人の物でも興味さえあれば)何でも勝手に“借りて”しまう習性がある。よってケンダー族を見た者の通常の反応は、扉に鍵をかけ、ポケットの中身を確認するといったものとなる。独立心が強く、放浪癖もある。

ゴブリン : 邪悪で小柄な、醜い顔をした人間型生物。寿命は50年。他の人間型生物を憎む。臆病だが殺しを好み、集団になると残忍性を発揮する。腐肉、ネズミ、蛇から人間までを食す。洞窟や湿った地下住居に住み、住処は不潔で悪臭を放つ。ホブゴブリンはより獰猛な、軍隊社会を形成する別の種族である。

ドラコニアン : ドラゴン軍の主力を形成する、謎の邪悪な種族。別名、ドラゴン人、またはドラコ。背中からは皮の翼が生え、爬虫類的なしっぽを持ち、全身を爬虫類の鱗が覆っている。大きな手足にはかぎ爪があり、人間のように直立して歩行する。死ぬと、石化する種、骨が爆発する種、死体が酸の海となる種などがある。魔術の使い手もいる。


※この巻の内容は2巻目で。

2004年11月18日(Thu)▲ページの先頭へ
Corpsing/Toby Litt



出版社/著者からの内容紹介
新進気鋭の鬼才が描くノワールの傑作!
最初の弾丸が元恋人で女優のリリーの身体を貫通した。瀟洒なレストランでの突然の出来事だった。つづけて2発はリリーに、そして僕にも2発の弾丸が撃ち込まれた・・・。僕は奇跡的に命を取り留めたものの、昏睡状態に陥った。リリーは即死だった。意識を取り戻した僕は、リリーが妊娠していたことを知った。警察は何も説明してくれない。どうして僕らがプロの殺し屋に狙われたのか、リリーのお腹の子の父親は誰なのか。僕はどうしてもそれを知りたかった。半年後、僕は退院し、そして独自で操作を開始した・・・。


冒頭からむかついている。主人公が半端でなく嫌な男なのだ。「今でも惚れている」という別れた彼女が目の前で撃たれたというのに、それを見ながら拳銃の仕組みや銃弾が人体に入っていく過程を説明して、何になるのかと。

それはそれで、嫌なら飛ばして読めばいいのだが、自分も撃たれて昏睡状態が続き、目が覚めて彼女が死んだことを知らされ、初めて口にした言葉が、「彼女は何分くらい生きていたのか?」とか、「僕に何か言ってなかったか」とか・・・。

普通、死んだと知らされたら、悲しみでショック状態になるんじゃないのか?それも「今でも惚れている」彼女なんだから。なのに、平気の平左で真っ先にそんなことを尋ねるなんて、彼女は死んでも死にきれないだろう。しかも、そんな男に自分の全財産を遺してやったなんて!成仏できないぞ!

あーあ、こいつも自分のことしか考えない、自分勝手な男なのかと思ったが、原文だけでは勘違いしているかもしれないので、翻訳 『リリーからの最後の電話』 にあたってみたところ、訳者のあとがきにも、この主人公はダメ男であるとはっきり書かれていた。ハニフ・クレイシの 『ぼくは静かに揺れ動く』 とか、ベルンハルト・シュリンクの 『朗読者』 の主人公などを思い出して、やな気持ちになった。

世の中強い男ばかりじゃないし、優柔不断だったり、はっきりしなかったり(優柔不断と一緒か)、礼儀知らずだったり、弱音ばかり吐いているという男のほうが多いとは思うけど、実際の社会では我慢できても、愉しみで読んでいる小説の中でまで我慢する必要はないだろう。好き嫌いで判断してもいいと思う。

だったらさっさとやめればいいのだが、ミステリでこんな男が出てくるのも結構珍しいし、とりあえず撃った犯人くらいは知りたいというので、本筋には関係のないところは読み飛ばしながら、早いところ終わらせようと思っている。

しかしこの本、イギリスでの評判は良かったのだが、こうした評判てのは全くあてにはならないんだなあ。日本では、村上春樹を誰も批判できないなどというのも、評判があてにならないひとつの見本のようなものだろう。

自己中心的でダメ男の主人公が好きになれなかったので、かなり飛ばし読みだけど、主人公の好き嫌いだけでなく、ストーリー展開も面白くなかった。これってミステリのジャンルに入るのかな?とも思った。それに、ダメ男の主人公、撃たれて当然だよ、てな感じさえする。何事もはっきりせず、ネチネチしてて、すごくやな男だった。

でも、現実にはこういう男のほうが多いわけで、あなたがはっきりすれば、何事もスムーズに運ぶのよ!と言いたくなる男ってのは、悲しいかな、山ほどいる。そういう男は、自分がそういう立場にあることさえわかっていないし、はっきりしないので、他人が迷惑しているということも認識していない場合が多い。とにかく、最後まで読んだってことが奇跡に近いような本。

2004年11月16日(Tue)▲ページの先頭へ
花の魔法、白のドラゴン/ダイアナ・ウィン・ジョーンズ



出版社/著者からの内容紹介
<ブレスト>は魔法に満ちた世界だ。たくさんある異世界の魔法のバランスを保つ、大事な存在でもある。ところがある日、その世界のイングランドに住む、宮廷付き魔法使いの娘ロディは、国中の魔法を司る「マーリン」が、恐るべき陰謀を企てていることに気づいた。だけど大人たちは、そんな話は信じてくれない。ただひとりの味方、幼なじみの少年グランドも、どんな魔法もひっくり返してかけてしまうから、頼りになるどころか、ロディの方が面倒を見なければならない始末。自力で陰謀に立ち向かう決心をしたロディは、古の魔女から<花の魔法>を受け継ぐのだが……。

一方、<地球>の英国に住む少年ニックは、長年、魔法を習いたいと夢見ていたが、ある日、ロンドンのホテルから異世界に足を踏み入れ、事情がわからぬままロディを助けることになり……?冥界の王、燃えあがるサラマンダー、大地に眠る伝説の<白のドラゴン>……多元世界を舞台に、二つの視点から描かれた、波乱万丈のファンタジー。著者最新作にして渾身の最長編!


これは、魔法使いマーリンが出てくる話だと内容説明にも書いてあったのだが、あら!これもまたとんでもない勘違い。うげげ!そういや、「マーリン」とかぎカッコがついているのだから、よくよく考えれば、個人の名前ではないと気づいてもよさそうだが・・・。

魔法使いマーリンと言えば、 アーサー王の師である偉大なイスタリのマーリン のことで、アーサー王も好きだが、個人的にはマーリンのほうがもっと好き。「指輪」のガンダルフに並んで、私の中では「2大魔法使いスター」なのだが、てっきりそのマーリンかと思って楽しみにしていたら、なんと、全然違ってるじゃない?・・・残念!

この話の中の「マーリン」は魔法使いの役職名で、国に仕える魔法使いなのだが、「マーリン」職についている魔法使いが死ねば、また新しい「マーリン」が選ばれるというわけで、アーサー王のマーリンとは全く違うものだ。

「マーリンが恐るべき陰謀を・・・」などとあるので、たしかにアーサー王のマーリンは悪魔の血を引いているなんて話もあるから、さもありなんと思っていたのだが、あーあ、まただまされてしまった。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズは 『魔法使いハウルと火の悪魔―ハウルの動く城〈1〉』 くらいしか読んだことがないのだが、雰囲気はこれも同じような感じ。日本語訳の文体のせいか、 『ゴシップ・ガール』 とか 『プリンセス・ダイアリー』 でも読んでいる気分になってくる。非常にガーリッシュだ。しかも「マーリン」が、あのマーリンでないってことは、私好みのカッコいいヒーローものではないってことだ。御年70歳にもなるというジョーンズだが、「女の子」の心はいつまでも失っていないと見える。

で、あのマーリンの話でないのなら、もうやめようかとも思ったのだが、「外国語訛り(実際ドイツ人らしい)のある英語を話す図体の大きいアーノルド」というのが出てきたので、ちょっとシュワちゃんをイメージして(たぶん作者もシュワちゃんをイメージしたのだろうと思う)、主人公の女の子ではなく、このアーノルドを追ってみようかと。<たいした役ではなかったが。

それにしても、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの本は、相変わらずやかましい。本の中からドタバタ騒ぎが聞こえてきて、途中で何度も「やかましい!」と声に出して言いそうになってしまったくらい。

ジョーンズの作品て「ハウル」もそうだけど、女の子がキャンキャンしてて、物事全てがドタバタしてる感じ。いろいろと世界が絡み合ったりして、一見複雑なようなんだけど、読み終えてみるとそうでもない。人がいっぱい出てきて大騒ぎしているだけの感じ。奇想天外というより波乱万丈。物語に直接関係のないナンセンスなことも多いし、こういう雰囲気が好きな人には楽しいだろうが、私にはちょっとやかましすぎる。疲れた。

ジョーンズの描く女の子って、天邪鬼な性格というか、それが特色なんだろうが、けして素直でおとなしい女の子など出てこないんだろうと思う。ジョーンズがそういう性格なのか?それにしても彼女もすでに70歳。いつまでも子どもの心を忘れないというのはいいが、もう少し落ち着いた話にならないものかな。(^^;

それと、邦題にはドラゴンが活躍しそうなイメージがあるが、当のドラゴンは、最後のほうにちょっと登場するだけ。これもがっかりだった。原題は 『The Merlin Conspiracy』 で、マーリンの陰謀というものだが、内容はそのとおりなのだから、やはり的確なタイトルだ。邦題の花の魔法はよくわかるが、ドラゴンはタイトルに登場させるほどのインパクトもなかった。

魔法のあれこれは楽しかったし、内容も盛りだくさん、展開もアップテンポで乗れる本だが、読後はどっと疲れた感じ。男の子はいいのだが、女の子が皆やかましいのが難。キャラクターが個人的好みに合わないのは、こればかりはどうにもしょうがない。

2004年11月13日(Sat)▲ページの先頭へ
銀の森の少年/リチャード・フォード



内容(「BOOK」データベースより)
愛情あふれるアナグマ夫婦に育てられた人間の子ナブは、銀の森の一員として成長した。彼は森の救い主として、金髪の少女ベスを伴い、賢く勇敢な動物の仲間と小妖精王国への冒険に旅立つ。不思議な宝ファラドーンを手に入れれば、森を破壊し動物たちを苦しめる"大いなる敵"に勝つ方法が分るのだ。人と自然との関わりを感動的に描き、生きることの喜びを感じさせる長編。


主人公のナブは、赤ん坊のときに銀の森に捨てられた人間の子どもで、アナグマのブロックとタラに育てられる。銀の森は動物たちがきちんとした社会を作っており、長老とも言うべきフクロウが、ナブをここで育てることは、小妖精王(エルフロード)も認めている、新しい歴史の始まりであるとかなんとか・・・。そんなこんなで、その新しい歴史の始まりの時が来て、ナブはエルフロードのもとに赴き、自分の使命を知る。

動物ものは好きだが、動物が主人公の話というのは、どれもこれも人間は邪悪なものとして描かれる傾向にあるようだ。これもまた例外ではなく、人間(アーキュー)は敵であるという設定のもとに描かれている。

この本がほかのそういった本と違うのは、森の動物たちと人間が、非常に密接な関係にあるということだろうか。人間との接触が頻繁にある。そして、エルフロードが語る、宇宙の始まりから天地創造、生命の誕生、善と悪の戦いといった物語が、 『指輪物語』 に酷似していることだ。

『指輪物語』での指輪にあたる「力」の象徴は、ここでは「論理の種」と呼ばれるもので、3人のエルフの王たちに授けられるのだが、これを悪の勢力が奪うという筋書きも、指輪戦争以前のことが書かれている 『シルマリルの物語』 などを読むとわかるが、やはり「指輪」にそっくりだ。堕落したエルフがゴブリンになるとか、悪の王が一度は追放されたが、次第に勢力を取り戻し、大々的な戦いになるなどというのも一緒。

おそらく、アナグマやウサギ、キツネといった動物たちは、「指輪」のホビットやドワーフなどという種族に相当し、長老格のフクロウは、ガンダルフなどの魔法使いといったところだろうか。やはり「指輪」を真似ているのかとも思うが、唯一違うのは、「指輪」ではのちに中つ国の王となる人間が、ここでは敵であるというところだ。

しかし敵であるはずの人間であるナブが、今後どういった役割を果たすのか、「指輪」と同様、のちには偉大な王になるのだろうか。そんな行く末が興味深いが、イギリスの森というのは、誰しもそんなような物語を考えずにはいられないような、不思議な力があるのかもしれないなと思う。やはりこの作家はアメリカ人ではないと納得する部分だ。

読了し、全体としてそれなりに面白く読めたとは思うが、やはりどうしても「指輪」と比較してしまうので、それに比べると穴が目立つ。

第一に、主人公ナブが危険な冒険をする必然性がない。「指輪」のほうは、指輪戦争のもとである力の指輪を「滅びの山」の火口に投げ入れなければ、冥王サウロンに世界は滅ばされてしまうので、どうしてもそこまで行かなくてはならない。

それだって、大鷲の王、風早彦グワイヒアが途中まででも運んでやればいいのになどと思うくらいなのだが、こちらは3つの「論理の種」を集めればすむわけだから、何もいたいけな少年少女や動物が、危険な旅をしなくてもいいじゃないかと思ってしまうのだ。いくら神に選ばれた少年だと言っても、種を持っている力のある3人の王(森、海、山)が、少年のところに来たっておかしくはないだろうに・・・。

などと考えてしまうと話は成り立たなくなるのだが、こんなふうに納得できない部分は多い。そういう点で言うと、「指輪」には穴がない。本当によく考えられ、詳細に作られていると、また新たに感心する。

それと、「指輪」の世界はトールキンの作り出したオリジナルの世界で、文明もまだそれほど発達していない。だから剣や弓、手作りの武器で戦うのもわかるし、不思議なものや生き物がいても、何の疑問もない。

しかし、『銀の森の少年』のほうは、車も走っているし、銃もある。ナブと生涯添い遂げることになっている少女ベスは、ジーンズまではいている。そして、作者は明らかに「地球」であると断言しているから、現在に近いこの地球上の出来事ということになる。

すると地球を作ったとされる善王アシュガロスは全知全能の神で、悪王ドレアグは悪魔か?と、妙に宗教的になってしまうので良くない。もっとも悪魔というのは、もともと天使であったわけだから、神とはイコールにはならないのだが。

けれども太古の地球の話は、ほとんどキリスト教的で、何ら新しいところがない。ドレアグという存在が、「指輪」のサウロンのようなものとすれば、旧約聖書と『指輪物語』の合体といったところだろうか。

『指輪物語』を引き合いに出すのはフェアではないかもしれないが、どう見ても「指輪」を意識しているとしか思えないし、トールキンが「指輪」のベースにしたケルト神話なども含まれているようだから、比べたくなるのも無理のない話なのだ。

何よりまいったのは、作者が動物や自然が好きというわけで、そうした描写が異常に多いこと。自然の美しさは、どれだけ書いても言い尽くせないものがあるとは思うが、これはファンタジーであると同時に冒険小説でもあるわけだから、いちいちそれを語っていたのでは、なかなか先に進まない。そういった自然の描写が減ったなら、あっという間に終わってしまう冒険談だ。一方で、そうした描写が詩的で美しいとも言えるのではあるけれど。

ところで、ひとつ疑問がある。ここまで動物や自然を美化し、人間を悪役にしたからには、作者はベジタリアンなんでしょうね?ちなみに、動物の友だちになれる良い人間は「エルドロン」といい、これもまた「指輪」に登場する裂け谷のエルフ「エルロンド」のアナグラムかと・・・。

2004年11月09日(Tue)▲ページの先頭へ
顔を返せ(上・下)/カール・ハイアセン



顔を返せ (上) 角川文庫/カール・ハイアセン (著), 汀 一弘
文庫: 316 p ; サイズ(cm): 15
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4042655017 ; 上 巻 (1992/11)
内容(「BOOK」データベースより)
何者かがミック・ストラナハンの死を望んだ。ミックは元フロリダ検察局の捜査官。干潟に建つ古い船屋に住み、魚たちと孤独を楽しんでいた。結婚5回、離婚5回、殺人五人。くえないやつだ 誰に恨まれてもおかしくない身だ。狙われた理由はわかっている。4年前に手がけた女子大生失踪事件がくすぶっているのだ。ミックは事件にけりをつけることをきめこんだ―。犯罪小説のマーク・トゥエインと称された奇才ハイアセンが軽妙洒脱に描く会心の一作。


顔を返せ (下) 角川文庫/カール・ハイアセン (著), 汀 一弘
文庫: 310 p ; サイズ(cm): 15
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4042655025 ; 下 巻 (1992/11)
内容(「BOOK」データベースより)
整形外科医ルディ・グレイヴラインは世の変身願望症患者から金を巻き上げることに余念がなかった。失踪した女子大生もルディの患者だった。近頃、四年前の事件をむし返えそうとしている者がいる。ルディは殺し屋を雇った。ケモ―誰もがそうよぶ無気味な巨漢―は、以前、整形手術に失敗していた。見るも無残になってしまった顔を元にもどしてもらうことを条件に殺しを引き受けたのだが…。


※画像は原書 『Skin Tight』


あっという間に読めるかと思っていたら、意外に手間取った。ハイアセンはかなり文章をひねっているし、文章もしっかりしている。省略がない。さらっと読めそうなのに、結構じっくりいかなくてはならなかったりするのだ。ハーラン・コーベンなどよりは、文章も上手いし、ユーモアも上級だと思うが。

ハイアセンのミステリは、ほとんどがフロリダが舞台。私もフロリダ好きなので(年寄りじゃあるまいし)、雰囲気も気に入って入るのだが、ハイアセンの好みの殺しは、「ミンチ系」。人間をミンチにするマシンは毎回違うが、ありふれたものである。ゴミ収集トラックだったり、植木屋の材木断裁マシンだったり。でも、必ず一人はミンチ系で死ぬ。あまり想像したくはないが。

今回の主人公である元フロリダ検察局の捜査官ミック・ストラナハンも、ばっちり私好みの主人公だったが、今回もまた性懲りもなく登場している(ハイアセンのミステリにたびたび登場する)アル・ガルシア警部もいい。

どちらもアウトロー的だが、シニカルなユーモアたっぷりのタフガイという感じ。ミックとは、お互いにさんざん悪口をいいながらも、男でなければわからないといった類の友情=信頼感を持っているといった関係。

フロリダという場所柄、汚職や買収なんていうのは日常茶飯事なのだが、ミックやガルシアもそういうことを否定はしないが、ちゃんと正義は貫くといった具合で、血なまぐさい殺人などがあったにも関わらず、結末は妙に明るい。ハイアセンお得意の、「登場人物のその後」も笑える。

2004年11月02日(Tue)▲ページの先頭へ
唇を閉ざせ(上・下)/ハーラン・コーベン

『唇を閉ざせ』(上)/ハーラン コーベン
出版社/著者からの内容紹介
8年前に殺されたはずの妻が生きている!?
ハーラン・コーベン、注目の新作!
NYの若い小児科医ベックは、亡き妻エリザベスのことを思い続けていた。今から8年前、2人は連続殺人鬼キルロイに襲われ、彼だけが九死に一生を得たのだ。そんな彼のもとに1通の謎のメールが届く。そのメールには、ベックとエリザベスしか知らないはずの秘密が隠されていた。悪質ないたずらか、それとも!?


『唇を閉ざせ』(下)/ハーラン・コーベン
内容(「BOOK」データベースより)
謎のメールを解読して妻のエリザベスが生きていることを確信したベックは、彼女の居場所の手がかりを探し求める。しかし、二人の友人だった女性カメラマンが殺害され、ワナにはめられたベックは犯人として追われるはめに…。逃亡者となったベックは妻と再会できるのか?そして8年前の悲劇の真相とは。


上下巻を一気に読めたのだから、たしかに展開は面白いのだが、結末にあっけにとられた。ミステリだから、どんでん返しや、あっという驚きの結末があるのはいい、というか、むしろそれを期待しているわけだが、それにしても、この主人公ってアホじゃないの?って感じで、あ〜、もう呆れて物も言えないってくらい、別の意味で驚いた。

オビに「ジェットコースター・ストーリー」とあるように、次の展開が気になって途中でやめられなくなるのだから、面白い本だと言っても差し支えないが、ちょっとこれはないでしょうよという結末には唖然。殺された人たちは、救われないよねえ。

これは、先日マーケットプレイスで買った「マイロン・ポライター」のシリーズではなく、単独の話なのだが、ちょっと心配になってきた。たぶん、一気に読める本だとは思うが、読んだ後に、ああ、またこんなもの読んじゃったという感覚に襲われるんじゃないだろうかと。(^^;

一気に読めると言うところで、「ハーラン・コーベンは面白いよ」と言えるだろうと思うのだが、個人的にはあまり好きではないかもしれない。というのも、私の場合、やはり主人公(男女問わず)に魅力を感じないと、ダメなのだ。これに関しては、アポロ13号も「主人公には魅力がない」と言っていた。

そういう意味で、マキャモンが描く主人公は私の好みに合っているってことなんだろう。まだ全部読んだわけではないが、これまで読んだ作品では、どの作品の主人公も好きだし。同じく、カール・ハイアセンの作品の主人公も好き。文章的にも、コーベンよりマキャモンのほうが上手いと思うし。

一方、キングやアン・ライス、ロバート・B・パーカーなどは好みではない。ストーリーはともかく、主人公が好きになれないのだ。これは、何もミステリに限ったことではなく、純文学でもファンタジーでも一緒。

ちなみに、作中の殺人鬼「キルロイ」に関しては、青山先生が 「ロスト・オン・ザ・ネット」 の中で言及されていたが、その「キルロイ」とは無関係ではあるものの、このあだ名は、そこから取られているものだと思う。

2004年10月31日(Sun)▲ページの先頭へ
The Witching Hour (Lives of the Mayfair Witches)/Anne Rice


内容(「BOOK」データベースより)
美貌の天才外科医ローアン・メイフェアは、一族の莫大な財産を相続し、ついに建築家マイケル・カリーと結婚する。が、二人の幸せな生活に悪霊ラシャーが忍び寄る。三百年にわたりメイフェア家の魔女たちにとりつくこの悪霊は、ローアンを誘惑して、自身の肉体化を図ろうとする―。いま、すべての謎は解かれ、運命の壮大な円環が閉じる。血も凍る結末へと一気に突き進む、ホラー巨篇、堂々の完結。


<参考:「Lives of the Mayfair Witches」シリーズ>

Lasher: Lives of the Mayfair Witches/Anne Rice (著)
マスマーケット: 640 p ; 出版社: Ballantine Books (Mm) ; ISBN: 0345397819 ; Reprint 版 (1995/09/01)

内容(「BOOK」データベースより)
肉体を持った悪霊ラシャーと共に姿を消したローアン・メイフェア。その彼女から元同僚サミュエル・ラーキン博士に驚くべき資料が送られてきた。人間の2倍の染色体をもつ身長195センチの幼児―それが資料の語る内容だった。一方、病の癒えたローアンの夫マイケル・カリーの前に、メイフェア一族のジュリアンの霊が現れ、ついにラシャーの真実を語りはじめた。


Taltos: Lives of the Mayfair Witches/Anne Rice (著)
マスマーケット: 576 p ; 出版社: Ballantine Books (Mm) ; ISBN: 0345404319 ; Reprint 版 (1996/05/01)



@
PBで1000ページを超えるんだけど、文章が冗長。だからどんどん、どんどん長くなっていってしまうんだろう。本筋に関係ないことが、これでもかというくらいに書き込んである。途中で、何の話だっけ?と確認しなきゃいけなくなるような本だ。早く本筋に入って、面白くなってくれればいいんだけど。。。

とにかく、魔女の話なんだよね?邦題も 『魔女の刻』 だし。なんだか亡霊みたいなのが出てはきてるんだけど(メイフェア家の魔女たちにとりつく悪霊)、魔女はまだ出てこない。ハリポタのような魔法使いが出てくるファンタジーだとは思っていないけど、魔女がメインというより、どちらかというと「悪霊」がメインなんだな。

A
ところで、アン・ライスの 『The Witching Hour』 はどうするかなって感じ。ずぅーっと、メイフェア家の歴史というか、なんというか、また聞きの話ばかりで、全然展開していかないんだもの、だるい。 内容説明 にあるような話が展開し始めるまでの状況設定が長すぎ!

悪魔に取りつかれたメイフェア家の代々の女性たちは、皆気が狂ってしまうというんだけど、今のところ、その悪魔が特別悪さをしているわけでもなく、その人の母親もおばあさんも、そのまたおばあさんもそうだったといったような噂話の域を出ない。だからなんなの?って感じ。嫌になってしまった。

ここはさっさとやめて、違う本を読んだほうが得策と思うんだけど、それが今いち思い切れない。もう少し読んだら、話が進むかもしれないと、まだ期待を捨てきれずにいる。

B
とりあえず手元にあった本を読む。これが、昨日から読み始めた小人の話じゃなくて、アン・ライスの 『The Witching Hour』 だっていうところに、なにやら魔力を感じる。やめたいのにやめられない。私にも悪霊ラシャーが取り憑いたか!って感じ。

アン・ライスはニューオーリンズ生まれだが、20歳から27年間もサンフランシスコに住んでいた。なので、物語の第一の舞台はニューオーリンズなのだが、第二の舞台はサンフランシスコである。

いくらアメリカ南部に興味があるとはいえ、ニューオーリンズには行ったことがないので、文章から想像するしかないのだが、アン・ライスのこの本には、他の南部ものに比べて、かなり多めにニューオーリンズの特徴(特にガーデン・ディストリクト周辺)が描かれているのだろうと思う。それも濃密に。

同じように、第二の舞台であるサンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジ周辺も丹念に描かれていて、こちらは行ったことがあるので、目の前に情景が浮かんでくる。そういった意味では、サンフランシスコが舞台になっている部分のほうが興味深く読めるのだが、そうはいっても、やっぱりこれはニューオーリンズの話で、そこの怪しげな雰囲気を抜きには語れない代物なんだろう。

などと考えながら読んでいたら、昨日放り出したはずの本の割には一気にいって、やっと主人公のローアン・メイフェアと、宿命の相手マイケル・カリーが結ばれる段まで進んだ。やっと話が展開してきたよ、と思ったら、次は一気に17世紀まで飛ぶらしい。歴史物も書いていたアン・ライスだけに、そういう運びが好きなんだろうなとは思うが、せっかくここまで読んだのだから、どんどん展開させてくれないと困る。

17世紀に、メイフェア家の祖先が悪霊ラシャーを呼び出してしまうという話の顛末について描かれていくようなのだが、これまでにも現れている上品な男の幽霊(らしきもの)が、なぜ悪霊なのか、メイフェア家とどういった関連があるのか、一応好奇心は掻き立てられてはいるので、たぶんこの先も続けられるだろうとは思うが、それにしてもやっぱり冗長な文章だなという印象は否定できない。アン・ライスは耽美的と言われたりしているが、耽美的というのとはちょっと違うような・・・。

C
アン・ライスの 『The Witching Hour』 を読書中。現代の主人公ローアン・メイフェアに至るまでのメイフェア家の歴史が延々と述べられているのだが、長いし、登場人物は多いしで、気が狂いそう。それでも、なんとか現代に近いところ(ローアンの母親のあたり)までたどり着いた。

そもそもメイフェア家はハイチで財を成し、その後アメリカ(ニューオーリンズ)にやってくるのだが、南北戦争などがあったにも関わらず、衰退はしなかった。大農園を持っているのとは別に、悪霊ラシャーが宝石類をどこかから盗んでくるため、社会環境の変化には一切関係なく栄えてきたというわけ。

しかもおぞましいのは、メイフェア家の中では近親相姦が多く、父親と娘などというのは当たり前のような関係で、さらにその間に生まれた娘と、先の父親(その子にとっては祖父になるのだが)とが関係するなんていうのまであるのだから、わけの分からない話になっている。

アン・ライスの小説には、そういった近親相姦や同性愛というのがふんだんに登場する。そういった事柄を読むのが嫌だという人には、アン・ライスは不向きだろう。私もその類は好きではないが、ここを突破しないと、先に進まないので、読まないわけにはいかない。

というか、ローアン・メイフェアと悪霊ラシャーの話をするのに、メイフェア家の初代にまで遡って、祖先たちを一人残さず紹介する必要があるのか?という素朴な疑問もわいて来るのだが、必要があるんでしょう、きっと!と思わずには、馬鹿らしくて読んでいられない。彼らの歴史は、上にも書いたように、近親相姦や同性愛などの話で躓かなければ、それなりに面白い。

そんな話の最中に、ニューオーリンズのフレンチ・クォーター(売春宿があるところ)などが出てきて、そこで ジェリー・ロール・モートン が演奏しているといったような実際の出来事が書いてあったりするので、時々はっとする。ジェリー・ロール・モートンは、青山先生の授業でCDを聴かせてもらった折に、気にいって私もCDを買ってある。先日のジュンク堂のトークショーでもこれを聴いた。

そんなわけで、アメリカ南部、特にニューオーリンズに興味のある人には、読みどころのたくさんある本でもある。それにしても、アン・ライスは濃い。あんまり濃すぎるので、1冊読み終えたら、しばらくはもういいって感じになるんだろうなと思う。私は息子のクリストファー・ライス(小説家)が好きなのだが、彼がゲイなのは、お母さんの影響かな?なんて思ってしまう。

D
やっと読み終えた。17世紀の魔女裁判なども出てくるが、話の核は現代。延々とメイフェア家と悪霊ラシャーとの歴史が語られ、なんとなく古めかしいイメージが漂っているのだが、最後にはDNAの話になったりして、なんだこれは?SFか?という感じになる。

悪霊ラシャーは、はっきりとはどういう生き物かは不明だが、とにかく肉体を持っていない。宇宙の始まりと共に存在していたようなスピリチュアルな存在らしい。それがメイフェア家の祖先スーザンに呼び出され、人間と関わっていくうちに、肉体が欲しくなったのだ。

そもそも言葉も考えも持たないラシャーは、人間の奴隷(アラジンの魔法のランプのジンのようなもの)であったのだが、何百年も人間と関わる間に、意志を持ち、言葉も操れるようになった。そして、スーザンから数えて13番目の魔女(ローアン)は、最も強大な力を持つ魔女なので、ラシャーはその力を借りて、肉体を持とうと企むのだ。すべては13番目の魔女のために、お膳立てされていく。

ローアンの力を借りて(ローアンが宿したマイケルの胎児にのりうつった)、肉体化を図ったラシャーは、現代科学を超えた存在となる。赤ん坊の姿で生まれたラシャーはみるみる成長し、不死の肉体となり、その細胞は独自で分裂していくという、最後は本当にSF小説さながらの展開。

実はこの先も続きがあって、肉体化したラシャーがどうなっていくのか、ローアンは?マイケルは?という疑問は、ここで打ち切られる。読者としては、そのほうが知りたいのに、またさらに延々と大長編を読まなければならないということになるのだ。ここまで読むのも大変だったのに、一番知りたい結末は、またさらに先延ばしだなんて、いい加減にしてくれ!って感じ。

結末を知りたい気持ちは大いにあるのだが、さらに冗長な文章を読まなければ鳴らないかと思うと、うんざりする。ただ、アン・ライスが描くこうした複雑怪奇な世界が好みの人には、どっぷり浸れる物語でもあるだろう。私個人は、ここまでしつこいと、いい加減いやになるが。

2004年10月29日(Fri)▲ページの先頭へ
奴らは渇いている(上・下)/ロバート・R・マキャモン



『奴らは渇いている』(上)/ロバート・R・マキャモン
内容(「BOOK」データベースより)
最近、ハリウッドの墓地では、墓が掘りおこされ、棺桶が盗まれるという怪事件が発生していた。この知らせを聞いた警部パラタジンは慄然とする。彼が子供のころハンガリーで体験した吸血鬼騒ぎと同じだったからだ。アメリカの最先端を行くロサンジェルスに吸血鬼が?しかし謎のプリンス・コンラッド・ヴァルカン率いる一大勢力はすでにこの巨大都市を制圧しようとしていた―。ロバート・マキャモンが恐怖小説永遠のテーマ〈吸血鬼〉に新風を吹き込んだ超大型冒険小説。


『奴らは渇いている』(下)/ロバート・R・マキャモン
内容(「BOOK」データベースより)
ロサンジェルスの全住民を吸血鬼とすべく、ブリンス・コンラッド・ヴァルカンは、史上空前の砂嵐を巻きおこして市街を外界から遮断。その間にも殺人鬼や、暴走族を手下として、吸血鬼の勢力を刻々増強させていく。敵の正体を知る警部パラタジン、神父シルヴェーラ、怪奇映画ファンの少年トミーらは、砂嵐をついて敵の本拠クロンスティーン城に乗り込む。吸血鬼と人間の決戦が始まった。まるでスピルバーグ映画のようなスケールと迫力で迫るマキャモン渾身の超大型エンターテインメント・ホラー。




すごく面白くて、下巻は1日で一気読み。他の用事など一切おかまいなしで読んだというのは、珍しい。結構スプラッターだけれど、そこはマキャモン、ホラーだけど、ヒーローものでもあって、最後はやっぱり善が勝つ。ほかの作家のホラーでも、ヒーロー的な人物は出てくるが、マキャモンの描くヒーローは、とにかく私好みなのだろう。今回のヒーロー、パラタジン警部の「絶対に守る!」という責任感は、私好みだ。

もう一人、ヴァンパイアの王ヴァルカンをやっつける重要な役がシルヴェーラ神父で、この人の自己犠牲、人類を守るのだ!という意志の強さにも脱帽。神父は不治の病ルー・ゲーリック病にかかっており、その命を人のために役立てたい、どうせ死ぬ運命なら自分が犠牲になろうというのは、『遙か南へ』 の主人公が癌で余命いくばくもないという設定を思い出した。

また、ヴァンパイアが根城にしているクロンスティーン城とは、ホラー俳優オーロン・クロンスティーンの持ち物だったという設定だが、このクロンスティーン、どこかで見た覚えがあると思ったら、短編集 『ブルー・ワールド』 に収められた「メーキャップ」に出てきた名前だった。実在の俳優かどうか確認していないが、実在だとすれば、マキャモンのお気に入りなのだろうか。

この話の中には、ジャック・ザ・リッパー(シュワちゃんの映画 「ラスト・アクション・ヒーロー」 にも登場した殺人鬼)や、ヴァン・ヘルシングの名前も出てくる。面白いのは、マキャモンが自分の作品 『Bethany's Sin』 を自らこきおろしていること。マキャモン自身、不本意な作品ということで、すでに原書でも絶版なのだが、この部分は笑えた。

・・・『ビサニィズ・シン』とかいう題名のつまらない本を読んで過ごしたのだ。あまりの退屈さに、第四章まで読んだところで放り出してしまうような本だった。・・・

最後に、舞台であるロサンジェルスが大地震に見舞われ、ヴァンパイアのほとんどが(多くの人がヴァンパイアにされていたのだが)死滅する。不死のはずのヴァンパイアがなぜ?と思うが、実はヴァンパイアは、日光と同じように、海水(聖水と同じ働きがあるが、聖水よりも神のパワーが強いらしい)に弱かったのだ!海水を浴びると、煙を上げて消えてしまうのだ。つまり、大地震に伴う大津波が彼らを消したわけだが、まさかこんな大スペクタクルな話になるとは思ってもいなかった。

しかしここで思ったのは、こういった災害時のアメリカ軍の行動の早さだ(ロサンジェルス以外は、まだヴァンパイアには襲われていなかった)。生き残った人たちを軍の基地に避難させ(基地なら水も食料も薬もすぐにあるわけだ)、24時間以内に、すでに100個の仮設住宅を建てたりしている。たしかにこれは小説だし、土地の事情とかもいろいろあるだろうが、こういうのを読むと、新潟の地震があった時期だけに、この寒空に放り出したままの日本政府の対応が信じられない思いだった。

この結末は、ヴァンパイアが全て消えたという結末ではないので、まだこの世の中に、彼らは存在しているということになっている。『奴らは渇いている2』が書かれてもおかしくない結末だ。途中でなんだか怖くなって、十字架のペンダントを探し出し、それを身につけて本を読んでいた。映画の 「ヴァン・ヘルシング」 なんかよりずっと怖かったし、パラタジンやシルヴェール神父といったヴァンパイア・ハンターは、それよりずっとカッコ良かった。怖かったけれど、すごく面白かった!

2004年10月25日(Mon)▲ページの先頭へ
To Kill a Mockingbird/Harper Lee


出版社より
この美しい小説を、世のすべての親たちに捧げる。
舞台はアメリカ南部の古い町。母なきあとの父と兄妹の心にしみる愛情をヨコ糸に、婦女暴行の無実の罪をでっちあげられた黒人の若者をタテ糸に、見事に織りなした人生のメロドラマ。1961年度のピュリッツァ賞に輝き、11カ国に翻訳され、すでに数百万部を売りつくし、95週延々2年にわたって連続ベストセラーを続けた名作である。


主人公スカウトの目を通して描かれた、アラバマ州メイコーム(架空の町)の人々の暮らしや、人種差別の実態。父アティカスと兄ジェムとの絆の深さ。人間とは、家族とはどうあるべきなのか?といったことを考えさせられる。

エピソードごとに感動して胸がつまり、ページがぼやけてくる。素直なスカウトの心と、誠実で責任感の強い父アティカスの態度、大人になろうとする兄ジェムの頼もしさに、いつしか引き込まれ、一緒に泣いたり笑ったりするようになる。

最も大きな人種差別というテーマは、全編を通じて流れており、「相手の身になって考えること」という大事なことを教えてくれる。お化け屋敷の住人である、ブー・ラッドリーの視点に立った時のスカウトは、そのことを身をもって知る。何度読み返しても、新たな感動を呼び起こす、素晴らしい作品。

私はたまにしか「お薦めの本」というのは紹介しないのだが、これはそういった本の中のひとつ。何度読んでも感動。深くて濃い物語。
じっくり味わって読み、父アティカスの言葉を胸に刻み、ジェムやスカウトの成長とともに、人間のあるべき姿を考える。こういった「急いで読んではいけない本」が、たまにある。そういった本は、間違いなく名作だと思う。

人種差別の大きなテーマの中で、父アティカスの正義感と強さに、息子ジェムと娘スカウトが、尊敬の念を持って対応している姿に、現在では数少ない親子の信頼とか絆といったものを見ることができる。

子どもたちは、大人の人種差別の中で、何が正しいのか、何が間違っているのか、それぞれの視点で見ていく。「絶対に正しくない」こう言えるのは、何のしがらみもない子どもだからだという大人の諦めも見えて、世の中の理不尽さに身震いするほどだ。しかし、スカウトが謎の隣人ブー・ラッドリーの視点に立ったとき、彼女は世の中のことを悟り、人の立場に立って考えることの重要さを、私たちに教えてくれる。

2004年10月14日(Thu)▲ページの先頭へ
アイスウィンド・サーガ〈1〉 悪魔の水晶/R.A.サルバトーレ


出版社/著者からの内容紹介
ダークエルフの二刀流剣士ドリッズと、魔法の黒豹グエンワイヴァーが活躍する世界2千万部D&Dファンタジー小説シリーズ!! 話題のシリーズを多く手がける米国の超人気作家、最大のベストセラー作品!!


復刊された「アイスウィンド・サーガ」シリーズの第1巻が届いたが、これは『The Icewind Dale Trilogy: The Crystal Shard, Streams of Silver, the Halfling's Gem (Forgotten Realms)』という三部作の、1作目『The Crystal Shard』の部分。しかもその3分の1。なんとも中途半端なものだ。

もちろん、3部作全部が訳されているとは思ってはいなかったが、実物を見たとき、これって『The Crystal Shard』の全訳?と思って中を見ると、訳者の解説には、日本版は全9冊で、原書での各巻が3冊ずつにまとまっているとのこと。つまり、『The Icewind Dale Trilogy』としては全9冊で、『The Crystal Shard』は3冊ということになる。

以前に、これは2作目までしか訳されていないと書いた覚えがあるが、『The Crystal Shard』と『Streams of Silver』までということになる。富士見書房の文庫版は絶版で、マーケットプレイスでも1000円から15000円などという値段になっている。

でもこの第1巻以降、情報がないのだが、全9巻まで翻訳されるのだろうか?現状況では、2作目までしか翻訳されていないし、全9巻出すまでには、新たに3作目を翻訳しないとならない。それに、「全部出します」とは、どこにも書いてない。出るとしても、全部揃うには、一体いつまでかかるやら。

だけど、シリーズの1巻目(しかも1作目の3分の1)だけしか出さないということもないだろうと思うので、今後も期待はしているが、結局のところ、早く続きを読みたければ、原書のほうを読まなければならないということだ。とりあえず1巻目があれば、あとは原書を読むのも多少楽になるので、無駄ではないと思うが。。。

※追加記事-----------------------------

どうやら以前出版された「アイスウィンド・サーガ」は、原書の各巻上下で、全6巻で完結されているようだ。つまり全部訳されているということ?絶版であまり情報がないので詳細はよくわからないのだが、全9巻というのは、今回新たに1作3分冊で出版されるようで、ということは、全部出る予定になっているのだろう。

それにしても気の長い話。1冊が1作の3分の1だなんて、ボロ儲けだよ、アスキー!待っているほうは気が狂いそうだ。3分冊にしてもいいから、1作分は一度に出して欲しいものだ。ディケンズやスティーヴン・キングじゃあるまいし、分冊にすれば売れるというものでもないでしょう。上下巻の上だけとかが買えない性格の私としては、こういうのは考えただけでイライラする。

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というわけで、本書は中途半端で欲求不満。話が面白くないのではなく、1冊の3分の1の部分しかないからだ。アイスウィンド・デイルに住み着いたドリッズトが、辺境の守りをしながらドワーフのブルーノーらと暮らしていくのだが、テン・タウンズにゴブリンたちの襲撃があり、そこに住む人々と力を合わせて撃退する。その後ハーフリングのレギスやバーバリアンのウルフガーなどが味方に加わっていくという話の、まだほんのプロローグ。

ドリッズトやグエンワイヴァーの魅力もまだ全開ではないし、ドリッズトとブルーノーの仲を取り持った人間の娘キャッティ・ブリーも全然出てこない。物語って(特に壮大な長編は)、こんなに細切れにしていいもんじゃないと思う。分冊にしてもいから(基本的にはしてほしくないが)、頼むから1冊分はまとめて出してくれ!という感じ。 出版社は読者の気持ちを無視している。物語は魅力的だが、出版社の姿勢が気にいらない。

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