Horror

Reading Diary
2005年01月20日(Thu)▲ページの先頭へ
ブルー・ワールド/ロバート・R・マキャモン

『ブルー・ワールド』/ロバート・マキャモン (著), 小尾 芙佐 (翻訳)
文庫: 633 p ; 出版社: 文芸春秋 ; ISBN: 4167309386 ; (1994/09)

※画像は原書 『Blue World』


内容説明
マキャモン唯一の短篇集。映画を題材としたアンソロジー『Silver Scream』に収録された「夜はグリーン・ファルコンを呼ぶ」をはじめ、雑誌やアンソロジーなどに発表された主な短篇が収められている。

なかでも「ミミズ小隊」は1985年度世界幻想文学大賞短篇賞を受賞した名篇として知られ、古風なSF/ホラー短篇を思わせる着想を迫真的でリアリスティックな現代的筆法で仕立てたパワフルな作品。テレビ・シリーズ《新トワイライト・ゾーン》の一エピソードとしてウィリアム・フリードキン監督により映像化もされており(邦題は「帰還兵」)、こちらも迫力の出来栄えである。

なお、本書の序文には同志たるホラー作家たちの名にまじって、レイ・ブラッドベリに謝辞が捧げられており、『少年時代』をはじめとする近年の作品に漂うファンタスティックな叙情が、ブラッドベリ直系であることがわかる。

各短編についての詳細はこちら


「あたりがみんなブルーに変わるとき、世界が息を殺しているように見える。これがブルー・ワールドよ。・・・ブルー・ワールドは夜の入り口、でも怖がることはない・・・だってブルー・ワールドはまたやってくるんだよ、夜明けに、それは夜の出口なんだよ・・・」─(ロバート・R・マキャモン「ブルー・ワールド」)

マキャモンは自分でも言っているように、長編作家だと思う。短編は、たしかにホラーとしては面白く、恐怖そのものが描かれているものの、マキャモンの持ち味である善なるものが描かれていない。そういう意味では、「夜はグリーン・ファルコンを呼ぶ」は、唯一善なるものが描かれていたと言えるだろう。

私は、マキャモンのそうした善なる部分が好きだから、やはり長編でないと、と思う。短編集の中の「ブルー・ワールド」は、普通の文庫本1冊ほどの長さがあるので、長編と言ってもいいくらいの中編である。これは、やっぱり良かった。マキャモンは自身も、短編が苦手だと思っているらしい。

世の中に星の数ほどもある、つまらない短編集に比べたら、断然面白い部類だし、世間一般的に見ても、マキャモンの短編がダメだということはないでしょうと思うのだが、私個人の好みとしても、やっぱりマキャモンは長編だなと思う。最後の「ブルー・ワールド」は、それなりの長さがあるから、読み応えもあったし、感動して目頭が熱くなったほどだった。

厳格なカトリックの神父が、教会に告解に来たポルノ女優を好きになってしまい、聖職者にはあるまじき行為に走る。さんざん悩み苦しみながら、そのうち身分を隠して会うようになる。最後には自分の命を賭けて、連続殺人犯から彼女の命を守り通し、命だけでなく、彼女の精神をも地獄から救い出すという話。

厳格な神父であるがゆえに、「おお神様、罪をお許しください」などと思いながら、内心の激しい葛藤と戦っている様がおかしい。こんなときにキリストは一体どうしろと教えているのか?だが、聖書は、キリストも通ったであろうその時期を飛ばしてしまっているので、何の役にも立たない。

しかし、だんだん彼女に惹かれていくにつれ、彼女の生活に深く関わるようになり、神父自身もピアスをつけたり、クラブに行ったりするようになるのだが(自ら進んでというわけではないが)、こうした世俗の底辺にこそ、救うべき魂があるのだと気づく。

結局、厳格な神父だって男なんだから・・・と思っていたが、この神父、なかなかどうして意志が強く、最後の一線は絶対に越えない。シュワちゃんも顔負けのド派手なアクションを演じて彼女の命を救ったばかりでなく、見事に彼女を地獄から救い出し、幸せを祈って旅立たせ、再び厳格な神父へと戻るのだ。(拍手!)

こういうところがマキャモン的だと思う。善はあくまでも善で、その役を担った主人公は、必ずそれをやり遂げ、けして悪には染まらない。この作品の神父も、まさかそんな!といった強さを発揮し、最後まで善をつらぬく。ちなみにこの神父は、マキャモンの一番新しい作品『魔女は夜ささやく』の若い判事見習い(書記だったか?)のマシューを思い起こさせる。

それと、この作品には、これでもか!というくらいに悪態が並んでいる。通常、そういう言葉が頻出する作品はうんざりしてしまうのだが、これに限っては、むしろ痛快とさえ思えた。周囲が悪態だらけのところに、主人公の神父が「罵りの言葉は控えなさい」などと言うのが妙におかしく、それによって全体の品が保たれているといった感じだ。

そもそもホラー作家だから、連続殺人犯の恐怖もしっかり描かれているが、そこにコメディとロマンスの要素も加わっており、さらにアクションとドラマチックな結末というおまけもついて、とても面白い作品だった。しかも舞台はサンフランシスコで、生きているかのような流れる霧と、「ブルー・ワールド」という言葉のイメージが重なって、幻想的なイメージもかもし出している。

2005年01月14日(Fri)▲ページの先頭へ
Black House/Stephen King, Peter Straub

『Black House』/Stephen King (著), Peter Straub (著)
マスマーケット: 658 p ; 出版社: Ballantine Books (Mm) ; ISBN: 0345441036 ; (2002/08/27)


内容(「BOOK」データベースより)
LA市警の敏腕刑事ジャックは、辞職してウィスコンシン州の田舎町に移り住もうとしていた。折しも町では、食人鬼フィッシャーマンによる少年少女誘拐事件が続発。事件の背後にある不可思議な現象を探るうちに、ジャックは、20年前に母親の命を救うために旅立った異界からの呼び声を聞くことに―。稀代の語り部コンビが『タリスマン』に次いで贈る畢生のダーク・ファンタジー。


冒頭は、なんだ、これは?という感じで、全く乗れなかった。出てくる名前が全て登場人物というわけでもないのに、やたら名前がたくさん出てきて混乱するし、場面展開も頻繁で、一体誰の話をしているのよ?という感じ。何と言っても、ストーリーには直接関係のない余計な話が多い。だからキングの本は分厚くなるのか。

この文体が、キング的なのかストラウブ的なのかよくわからないのだが、奇をてらっている感じがして、これもまた好きではない。キングは話題にもなるし、たまになんとなく読んでしまうのだが、この作品を読む限りにおいて、ストラウブの本は読みたいとは思わない。

とはいえ、先はどうなるんだろう?という好奇心は大いにかき立てられる。前作『タリスマン』では12歳だった少年が、警部補となって事件の捜査に関わるのだが、これがキングには珍しいヒーロータイプなので(おそらく、この人物設定はストラウブなのかもしれない)、とりあえず許せるかなといったところ。作者2人の趣味が出ているような余計なところは飛ばして、超特急で読書中。

ちなみにキングはずっとホラーだったが、ストラウブのほうは純文学思考らしい。キングも、最近は多少純文学にも言及するようになってはいるが。そこで、この作品にもディケンズの『荒涼館』などが頻繁に出てくる。ディケンズ好きと言えば、ジョン・アーヴイングが有名だけれど、キングもディケンズを読んでいるのかどうか・・・このあたりはストラウブの好みかもしれない。

というか、ディケンズの『荒涼館』の原題は『Bleak House』だ。キングとストラウブがこの本のタイトルを『Black House』にしたのは、どこかにディケンズとの共通点を持たせようとしたのだろうか。

それと、キングの少年時代は、家が貧しくてボローニャ・ソーセージのサンドイッチしか食べられなかったと、何かで読んだ記憶があるのだが、この作品にもボローニャ・ソーセージのサンドイッチが何度も出てくる。この部分は、間違いなくキングだろう。それほどボローニャ・ソーセージの記憶は、キングにとって切っても切れないものなのかも。三つ子の魂百までもだ。

内容は「ホラー+ダークファンタジー」という内容なのだが、この二人、オタクだなって感じ。それに、同じくこの二人の共著である『タリスマン』を読んでいないと、この世界にはなかなか入り込めない。さらに、キングの「暗黒の塔」シリーズまで出てくるから、この本だけでは、ちょっと無理がある。

なぜなら、後半はほとんどそういった前作の続きといった趣で、事前に『タリスマン』や「暗黒の塔」シリーズに関連していると知らなければ、何のことやら?という感じだろう。それでも理解できなくはないが、やはりこの世界の深いところまでは入って行けない。

とはいえ、ファンタジー=わけがわからない世界というわけじゃないのだから、これをファンタジーと呼ぶのはどうかな?とも思う。ファンタジーの要素もあるが、ナンセンスものの要素もあり、そこにスプラッターと狂気が混じった世界。怖いというより気持ちが悪いという世界で、最後にはいくつもの異世界が入り混じる。

この本では、邪悪なものの正体は何なのか明らかにされてはいないのだが、前作ではちゃんと書いてあるのだろうか?それに、善なるものの世界であるかのようなテリトリーとは何?と、気持ちが悪いという思いの次には、疑問ばかりが残る。前作を知らなければ、主人公のジャック・ソーヤーの不思議な力は理解できない。私も読んでいないので、なぜソーヤーがそういう立場にいるのか、完全には理解していない。それでも、日頃ファンタジーを読んでいる経験から、そういうものなんだろうなと思えるだけである。

邪悪な存在の根源が現れていないところを見ると、この先まだ続きを書くのかもしれないが、このオタク二人には付き合いきれない。一応ジャック・ソーヤーの使命はここで終わるのだが、さらにスーパー・ジャックとなって登場する可能性もありそうだ。

驚いたことに、この本にはバーナード・マラマッドの名が登場する。マラマッドの『ナチュラル』に言及しているのだが、最初はストラウブの趣味か?と思ったが、そういえばキングは野球好きで、レッドソックスの熱狂的なファンだから、野球のことが書かれた『ナチュラル』についての記述は、キング担当かも。

ディケンズの『荒涼館』(Bleak House)と、この『Black House』の共通点については、ディケンズを読んでいないのではっきりとは言えないが、単なる「似た言葉」でしかなかったようだ。そこまで期待したのが間違い。

この本は、キングとストラウブの、小説や音楽やマンガの好みがずいぶん反映された本だと思うが、よく知られたものならいざ知らず、そうでないものに関しては、いい加減にしてくれよという感じ。とにかく、余計な記述が多すぎるので、実際の登場人物なのか、小説やマンガの中の人物なのか、それを区別するだけでも大変なのだ。逆に言えば、いくら分厚くても、ストーリーに直接関係のない、飛ばせる部分が多いので、適当に読むことができる。読んだからといって、何も残らないけれど。

2004年10月31日(Sun)▲ページの先頭へ
The Witching Hour (Lives of the Mayfair Witches)/Anne Rice


内容(「BOOK」データベースより)
美貌の天才外科医ローアン・メイフェアは、一族の莫大な財産を相続し、ついに建築家マイケル・カリーと結婚する。が、二人の幸せな生活に悪霊ラシャーが忍び寄る。三百年にわたりメイフェア家の魔女たちにとりつくこの悪霊は、ローアンを誘惑して、自身の肉体化を図ろうとする―。いま、すべての謎は解かれ、運命の壮大な円環が閉じる。血も凍る結末へと一気に突き進む、ホラー巨篇、堂々の完結。


<参考:「Lives of the Mayfair Witches」シリーズ>

Lasher: Lives of the Mayfair Witches/Anne Rice (著)
マスマーケット: 640 p ; 出版社: Ballantine Books (Mm) ; ISBN: 0345397819 ; Reprint 版 (1995/09/01)

内容(「BOOK」データベースより)
肉体を持った悪霊ラシャーと共に姿を消したローアン・メイフェア。その彼女から元同僚サミュエル・ラーキン博士に驚くべき資料が送られてきた。人間の2倍の染色体をもつ身長195センチの幼児―それが資料の語る内容だった。一方、病の癒えたローアンの夫マイケル・カリーの前に、メイフェア一族のジュリアンの霊が現れ、ついにラシャーの真実を語りはじめた。


Taltos: Lives of the Mayfair Witches/Anne Rice (著)
マスマーケット: 576 p ; 出版社: Ballantine Books (Mm) ; ISBN: 0345404319 ; Reprint 版 (1996/05/01)



@
PBで1000ページを超えるんだけど、文章が冗長。だからどんどん、どんどん長くなっていってしまうんだろう。本筋に関係ないことが、これでもかというくらいに書き込んである。途中で、何の話だっけ?と確認しなきゃいけなくなるような本だ。早く本筋に入って、面白くなってくれればいいんだけど。。。

とにかく、魔女の話なんだよね?邦題も 『魔女の刻』 だし。なんだか亡霊みたいなのが出てはきてるんだけど(メイフェア家の魔女たちにとりつく悪霊)、魔女はまだ出てこない。ハリポタのような魔法使いが出てくるファンタジーだとは思っていないけど、魔女がメインというより、どちらかというと「悪霊」がメインなんだな。

A
ところで、アン・ライスの 『The Witching Hour』 はどうするかなって感じ。ずぅーっと、メイフェア家の歴史というか、なんというか、また聞きの話ばかりで、全然展開していかないんだもの、だるい。 内容説明 にあるような話が展開し始めるまでの状況設定が長すぎ!

悪魔に取りつかれたメイフェア家の代々の女性たちは、皆気が狂ってしまうというんだけど、今のところ、その悪魔が特別悪さをしているわけでもなく、その人の母親もおばあさんも、そのまたおばあさんもそうだったといったような噂話の域を出ない。だからなんなの?って感じ。嫌になってしまった。

ここはさっさとやめて、違う本を読んだほうが得策と思うんだけど、それが今いち思い切れない。もう少し読んだら、話が進むかもしれないと、まだ期待を捨てきれずにいる。

B
とりあえず手元にあった本を読む。これが、昨日から読み始めた小人の話じゃなくて、アン・ライスの 『The Witching Hour』 だっていうところに、なにやら魔力を感じる。やめたいのにやめられない。私にも悪霊ラシャーが取り憑いたか!って感じ。

アン・ライスはニューオーリンズ生まれだが、20歳から27年間もサンフランシスコに住んでいた。なので、物語の第一の舞台はニューオーリンズなのだが、第二の舞台はサンフランシスコである。

いくらアメリカ南部に興味があるとはいえ、ニューオーリンズには行ったことがないので、文章から想像するしかないのだが、アン・ライスのこの本には、他の南部ものに比べて、かなり多めにニューオーリンズの特徴(特にガーデン・ディストリクト周辺)が描かれているのだろうと思う。それも濃密に。

同じように、第二の舞台であるサンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジ周辺も丹念に描かれていて、こちらは行ったことがあるので、目の前に情景が浮かんでくる。そういった意味では、サンフランシスコが舞台になっている部分のほうが興味深く読めるのだが、そうはいっても、やっぱりこれはニューオーリンズの話で、そこの怪しげな雰囲気を抜きには語れない代物なんだろう。

などと考えながら読んでいたら、昨日放り出したはずの本の割には一気にいって、やっと主人公のローアン・メイフェアと、宿命の相手マイケル・カリーが結ばれる段まで進んだ。やっと話が展開してきたよ、と思ったら、次は一気に17世紀まで飛ぶらしい。歴史物も書いていたアン・ライスだけに、そういう運びが好きなんだろうなとは思うが、せっかくここまで読んだのだから、どんどん展開させてくれないと困る。

17世紀に、メイフェア家の祖先が悪霊ラシャーを呼び出してしまうという話の顛末について描かれていくようなのだが、これまでにも現れている上品な男の幽霊(らしきもの)が、なぜ悪霊なのか、メイフェア家とどういった関連があるのか、一応好奇心は掻き立てられてはいるので、たぶんこの先も続けられるだろうとは思うが、それにしてもやっぱり冗長な文章だなという印象は否定できない。アン・ライスは耽美的と言われたりしているが、耽美的というのとはちょっと違うような・・・。

C
アン・ライスの 『The Witching Hour』 を読書中。現代の主人公ローアン・メイフェアに至るまでのメイフェア家の歴史が延々と述べられているのだが、長いし、登場人物は多いしで、気が狂いそう。それでも、なんとか現代に近いところ(ローアンの母親のあたり)までたどり着いた。

そもそもメイフェア家はハイチで財を成し、その後アメリカ(ニューオーリンズ)にやってくるのだが、南北戦争などがあったにも関わらず、衰退はしなかった。大農園を持っているのとは別に、悪霊ラシャーが宝石類をどこかから盗んでくるため、社会環境の変化には一切関係なく栄えてきたというわけ。

しかもおぞましいのは、メイフェア家の中では近親相姦が多く、父親と娘などというのは当たり前のような関係で、さらにその間に生まれた娘と、先の父親(その子にとっては祖父になるのだが)とが関係するなんていうのまであるのだから、わけの分からない話になっている。

アン・ライスの小説には、そういった近親相姦や同性愛というのがふんだんに登場する。そういった事柄を読むのが嫌だという人には、アン・ライスは不向きだろう。私もその類は好きではないが、ここを突破しないと、先に進まないので、読まないわけにはいかない。

というか、ローアン・メイフェアと悪霊ラシャーの話をするのに、メイフェア家の初代にまで遡って、祖先たちを一人残さず紹介する必要があるのか?という素朴な疑問もわいて来るのだが、必要があるんでしょう、きっと!と思わずには、馬鹿らしくて読んでいられない。彼らの歴史は、上にも書いたように、近親相姦や同性愛などの話で躓かなければ、それなりに面白い。

そんな話の最中に、ニューオーリンズのフレンチ・クォーター(売春宿があるところ)などが出てきて、そこで ジェリー・ロール・モートン が演奏しているといったような実際の出来事が書いてあったりするので、時々はっとする。ジェリー・ロール・モートンは、青山先生の授業でCDを聴かせてもらった折に、気にいって私もCDを買ってある。先日のジュンク堂のトークショーでもこれを聴いた。

そんなわけで、アメリカ南部、特にニューオーリンズに興味のある人には、読みどころのたくさんある本でもある。それにしても、アン・ライスは濃い。あんまり濃すぎるので、1冊読み終えたら、しばらくはもういいって感じになるんだろうなと思う。私は息子のクリストファー・ライス(小説家)が好きなのだが、彼がゲイなのは、お母さんの影響かな?なんて思ってしまう。

D
やっと読み終えた。17世紀の魔女裁判なども出てくるが、話の核は現代。延々とメイフェア家と悪霊ラシャーとの歴史が語られ、なんとなく古めかしいイメージが漂っているのだが、最後にはDNAの話になったりして、なんだこれは?SFか?という感じになる。

悪霊ラシャーは、はっきりとはどういう生き物かは不明だが、とにかく肉体を持っていない。宇宙の始まりと共に存在していたようなスピリチュアルな存在らしい。それがメイフェア家の祖先スーザンに呼び出され、人間と関わっていくうちに、肉体が欲しくなったのだ。

そもそも言葉も考えも持たないラシャーは、人間の奴隷(アラジンの魔法のランプのジンのようなもの)であったのだが、何百年も人間と関わる間に、意志を持ち、言葉も操れるようになった。そして、スーザンから数えて13番目の魔女(ローアン)は、最も強大な力を持つ魔女なので、ラシャーはその力を借りて、肉体を持とうと企むのだ。すべては13番目の魔女のために、お膳立てされていく。

ローアンの力を借りて(ローアンが宿したマイケルの胎児にのりうつった)、肉体化を図ったラシャーは、現代科学を超えた存在となる。赤ん坊の姿で生まれたラシャーはみるみる成長し、不死の肉体となり、その細胞は独自で分裂していくという、最後は本当にSF小説さながらの展開。

実はこの先も続きがあって、肉体化したラシャーがどうなっていくのか、ローアンは?マイケルは?という疑問は、ここで打ち切られる。読者としては、そのほうが知りたいのに、またさらに延々と大長編を読まなければならないということになるのだ。ここまで読むのも大変だったのに、一番知りたい結末は、またさらに先延ばしだなんて、いい加減にしてくれ!って感じ。

結末を知りたい気持ちは大いにあるのだが、さらに冗長な文章を読まなければ鳴らないかと思うと、うんざりする。ただ、アン・ライスが描くこうした複雑怪奇な世界が好みの人には、どっぷり浸れる物語でもあるだろう。私個人は、ここまでしつこいと、いい加減いやになるが。

2004年10月29日(Fri)▲ページの先頭へ
奴らは渇いている(上・下)/ロバート・R・マキャモン



『奴らは渇いている』(上)/ロバート・R・マキャモン
内容(「BOOK」データベースより)
最近、ハリウッドの墓地では、墓が掘りおこされ、棺桶が盗まれるという怪事件が発生していた。この知らせを聞いた警部パラタジンは慄然とする。彼が子供のころハンガリーで体験した吸血鬼騒ぎと同じだったからだ。アメリカの最先端を行くロサンジェルスに吸血鬼が?しかし謎のプリンス・コンラッド・ヴァルカン率いる一大勢力はすでにこの巨大都市を制圧しようとしていた―。ロバート・マキャモンが恐怖小説永遠のテーマ〈吸血鬼〉に新風を吹き込んだ超大型冒険小説。


『奴らは渇いている』(下)/ロバート・R・マキャモン
内容(「BOOK」データベースより)
ロサンジェルスの全住民を吸血鬼とすべく、ブリンス・コンラッド・ヴァルカンは、史上空前の砂嵐を巻きおこして市街を外界から遮断。その間にも殺人鬼や、暴走族を手下として、吸血鬼の勢力を刻々増強させていく。敵の正体を知る警部パラタジン、神父シルヴェーラ、怪奇映画ファンの少年トミーらは、砂嵐をついて敵の本拠クロンスティーン城に乗り込む。吸血鬼と人間の決戦が始まった。まるでスピルバーグ映画のようなスケールと迫力で迫るマキャモン渾身の超大型エンターテインメント・ホラー。




すごく面白くて、下巻は1日で一気読み。他の用事など一切おかまいなしで読んだというのは、珍しい。結構スプラッターだけれど、そこはマキャモン、ホラーだけど、ヒーローものでもあって、最後はやっぱり善が勝つ。ほかの作家のホラーでも、ヒーロー的な人物は出てくるが、マキャモンの描くヒーローは、とにかく私好みなのだろう。今回のヒーロー、パラタジン警部の「絶対に守る!」という責任感は、私好みだ。

もう一人、ヴァンパイアの王ヴァルカンをやっつける重要な役がシルヴェーラ神父で、この人の自己犠牲、人類を守るのだ!という意志の強さにも脱帽。神父は不治の病ルー・ゲーリック病にかかっており、その命を人のために役立てたい、どうせ死ぬ運命なら自分が犠牲になろうというのは、『遙か南へ』 の主人公が癌で余命いくばくもないという設定を思い出した。

また、ヴァンパイアが根城にしているクロンスティーン城とは、ホラー俳優オーロン・クロンスティーンの持ち物だったという設定だが、このクロンスティーン、どこかで見た覚えがあると思ったら、短編集 『ブルー・ワールド』 に収められた「メーキャップ」に出てきた名前だった。実在の俳優かどうか確認していないが、実在だとすれば、マキャモンのお気に入りなのだろうか。

この話の中には、ジャック・ザ・リッパー(シュワちゃんの映画 「ラスト・アクション・ヒーロー」 にも登場した殺人鬼)や、ヴァン・ヘルシングの名前も出てくる。面白いのは、マキャモンが自分の作品 『Bethany's Sin』 を自らこきおろしていること。マキャモン自身、不本意な作品ということで、すでに原書でも絶版なのだが、この部分は笑えた。

・・・『ビサニィズ・シン』とかいう題名のつまらない本を読んで過ごしたのだ。あまりの退屈さに、第四章まで読んだところで放り出してしまうような本だった。・・・

最後に、舞台であるロサンジェルスが大地震に見舞われ、ヴァンパイアのほとんどが(多くの人がヴァンパイアにされていたのだが)死滅する。不死のはずのヴァンパイアがなぜ?と思うが、実はヴァンパイアは、日光と同じように、海水(聖水と同じ働きがあるが、聖水よりも神のパワーが強いらしい)に弱かったのだ!海水を浴びると、煙を上げて消えてしまうのだ。つまり、大地震に伴う大津波が彼らを消したわけだが、まさかこんな大スペクタクルな話になるとは思ってもいなかった。

しかしここで思ったのは、こういった災害時のアメリカ軍の行動の早さだ(ロサンジェルス以外は、まだヴァンパイアには襲われていなかった)。生き残った人たちを軍の基地に避難させ(基地なら水も食料も薬もすぐにあるわけだ)、24時間以内に、すでに100個の仮設住宅を建てたりしている。たしかにこれは小説だし、土地の事情とかもいろいろあるだろうが、こういうのを読むと、新潟の地震があった時期だけに、この寒空に放り出したままの日本政府の対応が信じられない思いだった。

この結末は、ヴァンパイアが全て消えたという結末ではないので、まだこの世の中に、彼らは存在しているということになっている。『奴らは渇いている2』が書かれてもおかしくない結末だ。途中でなんだか怖くなって、十字架のペンダントを探し出し、それを身につけて本を読んでいた。映画の 「ヴァン・ヘルシング」 なんかよりずっと怖かったし、パラタジンやシルヴェール神父といったヴァンパイア・ハンターは、それよりずっとカッコ良かった。怖かったけれど、すごく面白かった!

2004年10月08日(Fri)▲ページの先頭へ
アッシャー家の弔鐘(上・下)/ロバート・R・マキャモン



『アッシャー家の弔鐘』(上)
出版社より
文豪ポオが名作「アッシャー家の崩壊」で描いた悲劇の一族、アッシャー家は実在した!のみならずその一族は、150年を経て、アメリカの軍需産業の頂点に位置する「アッシャー・アーマメンツ社」の世襲オーナーとして君臨し、ノース・カロライナの山奥に壮大な屋敷を築いてひきこもっている。家業を嫌い、ニューヨークで売れない作家暮らしをしていた主人公リックスが、「父危篤」の知らせに帰郷して知った一族の秘密とは─。モダンホラーの旗手マキャモンが怪奇幻想小説の先達者ポオにささげる話題作。


『アッシャー家の弔鐘』(下)
出版社より
ペンタゴンを影であやつる「死の商人」─兵器製造業者としての家業 を嫌って、ニューヨークに出奔していたリックスはブライアートップ山山麓にあるアッシャー家の屋敷へと帰っていく。自らの家系をテーマにした小説執筆をもくろむ彼が見たのは、子どもさらいの怪人<パンプキン・マン>が森に出没し、迷宮と化した怪建築<ロッジ>が時折鳴動する驚くべき世界だった。そして古文書からリックスが知った一族の驚くべき秘密とは?鬼才マキャモンが前人未到の領域に踏み込んだ壮大なゴシック伝奇小説!


※画像は原書 『Usher's Passing』
※ロバート・R・マキャモンの「R」は「リック」。マキャモンの自伝的要素も加味されている。


エドガー・アラン・ポオの名作短篇「アッシャー家の崩壊」へオマージュを捧げた第六長篇。あのアッシャー家が実在、軍事産業の大立者として隠然たる権力をもっている──というアイデアに基づく。マキャモン作品中、もっともストレートに怪奇小説を指向した作品。

アッシャー家の次男で、実家から離れてひとりアトランタでホラー小説を書いているリックス。ある日、一族の長である父ウォーレン・アッシャーが危篤状態であるという報が届き、彼は気の重い帰郷を決意する。ノース・カロライナの広大な《アッシャーランド》に戻ったリックスが目にしたのは、「アッシャー病」を悪化させ、死の床についている父の姿だった。屋敷に滞在することになったリックスは、やがて一族の秘密を探り当てることに・・・。

音や色などの激しい刺激に神経が過剰に反応して死に至る「アッシャー病」は、ポオやH.P.ラヴクラフトら、怪奇作家によく見られた神経症的性格を病気として誇張したものだろう。鬱蒼とした森、不吉な屋敷への帰還、奇矯な一族など、古典的なゴシック調怪奇小説のモチーフが随所にひかれている。一方で、森のなかをうろつく怪物「パンプキン・マン」には、マキャモンらしいノスタルジックな恐怖と叙情がこめられている。

幻想的な「巨大な振り子」のイメージと現代的な活劇サスペンスをともに持つクライマックスは、壮絶なカラストロフィによって閉じられ、ゴシック風怪奇小説とモダン・ホラーの要素をきれいに融合させている。

─(ロバート・R・マキャモン作品案内/文藝春秋・編集部)


内容は、ほとんど上の作品案内に書いてある通り。アッシャー家の人間のみがかかる「アッシャー病」は、生きながらにして体が腐っていくような病気で、冒頭から腐肉の匂いや死臭がぷんぷんしている雰囲気。だが、その病気の進行を遅らせるために、代々受け継がれてきたこととは、人肉を食べることであった。

それが一族の秘密でもあるわけだが、もうひとつ、重大な秘密が、広大な屋敷の地下に隠されていた。それが「巨大な振り子」である。この振り子の振動によって、いつも屋敷は震えているようで、ひとたび振り子が大きく動き出せば、周囲は大地震に見舞われるといった恐ろしい仕組みになっている。

だがこれを作らせたのは、この世のものではない悪魔であった。最初は主人公リックスの味方かと思っていた執事が、実は恐ろしい悪魔の手先であったとわかったとき、戦慄が走る。

「アッシャー病」がメインの災厄かと思ったら、実は「巨大振り子」が待ち受けており、さらにその裏には悪魔がいるという、とことん呪われた一家の話だが、リックスが跡を継いだのちは、病気も現代医学に委ねることにし、徐々に昔からのアッシャー家を変化させていくという、前向きな方向に向かって、幕は閉じる。

マキャモンの他の作品とは、なんとなくどこか違うような感じがしていたが、全編を通じて死臭が漂う雰囲気は、ちょっと引くかもしれない。だいたい主人公がヒーローになって、悪に立ち向かっていくというのが、マキャモンの作品の核になっているのだが、これに関しては、そういう話でもなかった。何が怖かったといって、心底から信じていた、いかにも人のよさそうな執事が、実は悪魔だったというところだろうか。

それと、アッシャー家は武器を作っている会社である。戦争で人を殺して儲けている会社だということに、主人公のリックスは、非常に憤りを感じている。だが、武器商人は世界になくてはならないものなのだ、と例の執事は教える。それが悪魔のささやきなのである。それもまた怖い。こんな悪魔のささやきを聞いた人間が、世界には大勢いるのだろう。

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